「事実に力がある」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19597 (写真入り記事)
ある国で、キリスト教を否定するというTV番組が放映されました。
否定する側は、完全な理論武装で立ち向かって来ました。
相対するキリスト教信者は、対抗するのではなく、証(体験談)を話しました。
どんなにキリスト教を否定しようとしても、神の存在を否定しようとしても、実際の体験談の前には形なしだったそうです。
「19,私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
20,ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
21,律法を持たない人々に対しては、−−私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが−−律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
22,弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
23,私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」(第一コリント9章19節〜23節)
パウロは、ユダヤ人を獲得するためにはユダヤ人のようになることが一番だと考え、そのように伝道をしました。
それが効果的な場合もありますが、キリスト教を否定する番組においては、同じ土俵の上で戦うのではなく、理屈に対して事実を語ることで対抗しました。
「事実は小説より奇なり」と言われます。どんなに面白い作り話があったとしても、事実はそれに勝って不思議で面白いものです。
私は、伝道する時には証(体験談)を話します。相手が信じてくれようがくれまいが関係ありません。信じてくれないからといってそれが真実でなくなる訳ではないからです。
証は3つのポイントで語ると良いと思います。
1、イエス様を知る前の私
2、イエス様と出会ったきっかけ
3、イエス様を信じた後の私
簡潔に話すこともできますし、肉付けして懇ろに語ることもできます。
今日は、上野駅で路傍伝道をします。
ギターを弾いて賛美し、証を多用しながら聖書を伝えたいと思います。
イエスが私にして下さった良いことを語りたいと思います。
伝道は三度の飯より好きです。食事は何にも勝って好きなので、伝道はそれ以上に好きです。
イエス様の愛を皆さんに分かち合いたいです。
今日も、ステキな1日でありますように。
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