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2019年01月30日22:32

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社会運動が嫌悪される理由(駄犬メモ)

議員秘書が「死ね」と書き込み
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5477909

日本では社会運動というものが嫌悪される傾向にある。デモを見るたびに脊髄反射のごとく、批判が重ねられることは珍しいことではない。あるいはもっと良い方法があると賢しげに語る者犬も多い。だが、その感情的な嫌悪感はどこから来ているのか?

それは学生運動の失敗だろう。かつての日大闘争、東大安田講堂での闘争、そこから、さらに山岳ベース事件、浅間山荘事件という狂気へとつながっていった。さらに社会運動の核となっていたはずの絶対の正義、世の真理とされたマルクス主義が常に現実とは乖離し続けた結果、その求心力を失っていった。冷戦の終結によって、それは致命的なものとなり、社会運動の中心軸を完全に喪失したのである。

この経験を未だに日本人は引きずり続けている。だからこそ社会運動には嫌悪感を持たざるを得なくなるのだ。長いものには巻かれろ。お上思考、色々、言い換える事はできるのだろうが、反権力という志向では結局、何事も為しえない。それどころか、運動が暴走し、狂気へと走りかねない危険性を常に孕んでいることを思い知ってしまったのである。

これが感情的な嫌悪感を生み出す原因である。本来、社会運動はもっと気軽にできるものなのだが、心理的抵抗がそれを許さない。たとえばデモなどは警察署に行って、許可さえ取れば誰でもできるのだが、自分で主催したという人にめったにお目にかかれるものでもない。ハンストやりたかったら、好きなだけやればいいのだが、眉をひそめる人も多いの
こういう理由である。

おわり犬
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