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2019年01月25日00:28

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ミクシィの新たな船出に(13)(性についてのその3)

今日は、まず 愚痴(ぐち)からです^^。

設備業に勤めながら、このようなネット活動も始めているわけなのですが、これ、なかなか大変です。

普段は土日が休みなので、それが頼みの綱、 その間思いっきりネット活動その他の「目標への行動」が出来るわけです。

そうでない時には、この「日記」と もう一つアメブロでのブログ(こちらのほうは介護関連の記事です)と、そのためのいくつかの事々や、 それにこんなことをしていれば勉強
の時間も取る必要があったりで、それだけで終わってしまうわけですからね。

それが、ここのところ 土日が休みでない時(設備業は現場に左右される)もあり、 また、変な用事ができてしまったりで、なかなか  せっかくのその休みがとれないでいるんです。

なんと、次の土日も 多分、めいっぱい仕事となります。

炊事洗濯買い物掃除も 一人だから少なくて済むとはいえ それもこなしての上でのこの活動なんです。

と、  愚痴(ぐち)は、このへんにしておきましょう。

そんな中で、なかなかミクシィ探索も進んでいないのですが、  今まで見たミクシィのコミュのトピには、

「愚痴」とか「ひとりごと」とかのトピも多いです。

それもまた、ミクシィの緩やかなつながりの特徴なんでしょう。

自分も、少し愚痴らせていただいたわけです。


71歳、かなり疲労もたまり始めていますので、 ここはしばし 「日記」も 少しペースダウンさせていただこうと思ったのです。



また、 きょうは現場で頭を少しうってしまったため、 まだ頭がボワンとしていて、今日書く予定にしていたことが今思い出せません。

書く内容はたくさんあるのですが、 この状態で無理に頭をひねっても けしていいものは書けないかと思います。

ただ、  昨日最後に書きましたように、  性の感性を、ではどのようにたかめたらいいのかというのが 今日からのテーマであることは、もちろんちゃんと憶えてますので^^、
 
少しだけ、先い進めておこうと思います。

(そうそう、今日は、パソコン教室にも行ってきたんです。 もうふらふらです^^。内容はエクセルなんですが、このエクセルがベテランとなったら、少しはネット音痴が克服できるかな、 という淡い期待があるんですよね)

さて、 感じる心を高めるためには、 実は、心が癒されることが大事なんですが、

それには 「音楽」ってすごく大事です。


最近は 私自身、毎晩寝る前にバロック音楽の「タイスの瞑想曲」と、ドボルザークの「ユモレスク」を聞いて眠りにつくのですが、 これが、なんとかこれだけの活動のかつ力を回復させてくれていることの一つだと思えています。

昨日の触れましたが、

私は、子供の頃体をめちゃめちゃ壊してしまいましたので、強弱児施設にいたのですが、 
そこで私は始めて、 

消灯時間に流れてきたクラシック音楽と出会うこととなりました。

その施設に入る少し前には、 死の床をはいずっていたような人間です。

またいじめにあい、恐怖症をこじらせて 気も触れたことのある子供だったんです。

そんな廃人になりかかっていた私を救ってくれたのがその虚弱児施設だったのですが、

そんな中で初めて聞く クラシック音楽は、私の心身を深く深く癒してくれました。

子どもたちは、私も含めて 消灯時間の少し前には まくらをなげあったり 大騒ぎをしているのですが、 消灯で明かりが消えると そのとたん、静かになり、低学年の人たちは「おかあさあああん」とか言って泣き出すし、高学年の人たちが慰め始めたり、全く違った雰囲気になるのですが、

そこに放送室から 子供たちの寝室に、 トロイメライや、アンダンテカンタビレーや、
そして今毎晩聞いている曲の一つユーモレスク(涙のあるユーモア)などが流れてきたのです。

私は、生き返ることのできた心身全体で、その音楽のほんのちいさな微細な音の変化までが入り込んできて、 その全身心を貫いている感動の中、それを聞いていました。

その虚弱児施設でも、いくつかの幼い恋はありました^^。

これは、かわゆい恋というものですけどね(^_-)-☆。

消灯時間前の、あの その時間に、なんと わたしの布団の中に入り込んできて 上に下にころげまわり^^じゃれまわっていた女の子がいたりしました。

私のことが大好きだったんです。

ある時、 彼女は私に「世界中で私のことが一番好き?」と聞いてきました。

それなのに、この私は、ほかに好きな子がいたもので、そのまま「〜〜さんのこと好きだけど 、二番目に好きだ」とか言ってしまっていました。

突然、大声で泣きだした彼女。

ああ、もう  

それなのに私は「ほんとうに、世界中で二番目に好きなんだよ」とか 言っていたんですよ。 これでなぐさめているつもり^^。

子供にしたって、な  なんて鈍感な子供だったので笑(しょう)^^。


まあ、 お二人とも、むじゃきなところは、かわゆいですよね(^_-)-☆

彼女のほうはかわいそうです。 それでおしまいとなってしまったのですからね。


私のほうは、いいきなもんです。  そんなことすっかり忘れて言ってしまったんですから。



男というものは、子供でなくても こうなってしまうもんです。

女性は、そこを理解してやってください。

ただし、

大人がもう一度 子供のような新鮮な気持ちに帰れた時には、 自覚がありますから、 すくなくとも 落ち着けます。

男女ともです。

性の中自体に、安らぎを知り、 さらに新鮮な気持ちを取り戻したりもします。

そして そんなふうに、心が解放されると さらに落ち着けます。

そうではなくて、性をいたずらに否定してしまったり、不浄感にとらわれてしまうと、かえって 落ち着きをなくしてしまうんです。

学生時代の私には、その不浄感が生まれてもいました。

本屋で 外国の裸の女性の写真を見たとたん、顔が真っ赤になってしまったことがありました。

見てはいけないものを見てしまったというよくある感じなのですが、それが顔にずばばっとでてしまうほどなの強烈な感覚であったことを憶えているんです。

カトリック系の高校でしたから、それに影響された感もありますね^^。

それが 大学での初恋で 180度変わってしまい、昨日の変態肯定論^^につながっていったというわけです。

肯定というより それは、単なる形に過ぎないということでもあるんですが、 むしろそのぐらい自由であったほうが、 落ち着けるということなんです。

男女関係、あせったって いろいろ失敗するだけですからね。

そうそう、キリスト自体は、むしろ性を肯定しているはずなんです。

なので、不浄感とか 聖母マリアの処女懐胎とかのお話は、全部 後の教会権力が 世の中の秩序のためにと思いこみ^^作り上げてしまったことになります。

はっきり言えば、 でっち上げの、でたらめですよ。

何を書く予定だったのか思い出せないままなので、 明日は、では、そのほんとうのキリストの言葉からの 性のお話をしてみますね。

キリスト教徒の人たちは、なんともめちゃくちゃな解釈の仕方になってしまっているんです。

今日は以上で 寝ますね^。^。(ちらっと 読み返してみたら けっこう今日も長い((+_+))


では、

とりとめなくなってしまいましたが、

今日は、このへんで。


おやすみなさい。













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