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2019年01月23日05:22

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1月23日

死の雪中行軍。陸軍歩兵第五聯隊が八甲田山の雪中突破へ出発し遭難。25日に210名中199人の死亡を確認:明治35年のこの日。八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、明治35年1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練における最も多くの死傷者が発生した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。
日本陸軍は明治27年の日清戦争で冬季寒冷地での戦いに苦戦したため、さらなる厳寒地での戦いとなる対ロシア戦を想定し、それに向けて準備をしていた。日本陸軍にとって冬季訓練は喫緊の課題であった。対ロシア戦は2年後の明治37年に日露戦争として現実のものとなった。雪中行軍には青森から歩兵第5連隊210名が、弘前から歩兵第31連隊37名と民間の新聞記者1名が参加した。うち青森歩兵第5連隊が遭難した。両連隊は、日程を初め、お互いの雪中行軍予定を知らずに計画を立てた。ただし、弘前連隊の行軍予定については東奥日報が1月17日発行の紙面上で報道していたことから、青森側には行軍予定の重複に気付いた者がいた可能性がある。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、雪中行軍経路。
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