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2019年01月18日21:31

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改憲「世論呼び覚ます」=自民運動方針最終案

■改憲「世論呼び覚ます」=自民運動方針最終案
(時事通信社 - 01月18日 08:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5461143

恥ずかしながら、還暦間近になって、改めて「日本国憲法」を初めてちゃんと隅から隅まで読ませていただきました。
そしてその感想。

改憲派の皆さんは、GHQに押し付けられた時代遅れの憲法だのなんのと言っておられますが、なかなかどうして、現行憲法には、いちいち頷けることがきちんと謳ってありますね。
改めて読んでみますと、我が国の憲法は、なかなかどうして、立派なものです。
細かい表現としては、今風に修正してもいいと思われる箇所もあると思いましたが、政府のおっしゃる憲法九条および九六条なんて、現行のままでも、解釈の範囲で理解すれば特に問題はないと思いました。

それよりも、その中身以前の、そもそも論です。

日本国憲法とは、いったいどういう「建て付け」のものなのかというお話。
これは、恥ずかしながら、僕自身知らず知らず大きな誤解をしていました。
しかも60年近くです。
因みに、日本国憲法以前の、大日本帝国憲法はどういう建て付けだったのか。
大日本帝国憲法は、天皇が発布し、国民に施行された憲法ですね。
これに対し、日本国憲法はどうか。
これは、日本国憲法の前文にきちんと謳ってあります。

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

そういうこと。
つまり、日本国憲法は、実は国民が、政府に守らせるために作ったものだということです。
「国民主権」ですね。
これを、なんだか勘違いしていましたね。
憲法とは、国が作って国民に守らせるもの。
そんなことは、憲法のどこにも書いていないのに、勝手にそう思っていました。
国が、国民に守らせるものは、あくまで法律です。
それと、どこかで知らず知らず混同していました。
憲法は、その「建て付け」ではありませんね。
憲法はそれとはまったく逆で、国民が、政府に守らせるために定めたものです。

「檻の中のライオン」という本を書いた方がいます。
ちょっと難しい名前で、読めなかったのですが、弁護士の方。
どういうことかというと、こういうこと。

「権力を憲法で縛る立憲主義を「権力」=ライオン、「憲法」=檻で例える。」

要するに、国民主権の国をきちんと運営させるために必要だったのが、一定の権力を付加した政府。
その政府が、その権力をいいことに、いい気になって暴走しないように、あらかじめ檻の中にいれておこうという話です。
その檻にあたるものが憲法。
そもそも、憲法はもともとそういう「建て付け」のものなんですね。

さあ、そうすると、その檻の中に入れたはずの政府が、憲法を改正しようというのは、ちょいと危険な匂いがしませんか?
彼らに、主権者の国民が、便宜上与えたものが権力です。
ところが、この権力というやつが曲者。
どうも、権力というものは蜜の味のようです。
それを一度持つと、これは美味しくて、ちょっと手放したくなくなる。
ずっとずっと、持っていたくなる。
そして、次第にもっともっと、やりたいようにやりたくなる。
誰もが、そう思ってしまうもののようです。
習近平さん然り、プーチンさん然り、トランプさん然り。
それには、この憲法という「檻」が、ちょいと邪魔になる。
煩わしいから、変えてやれ。
こう思って、当然でしょう。
でも、それは当然だと、鼻から承知しているからこそ、憲法を変える手続きは、九十六条でかなり高いハードルにしているわけです。
権力者のサガを、憲法は、はじめからきちんとわかっている。
その意味で憲法は、人間の過去の過ちから学んだ知見を、ぎっしりと詰め込んだ人類の叡智といっていい。

日本国憲法は、戦勝国からあちらの都合で押し付けられた規則なんだとよくおっしゃいますが、もしも日本が仮に戦争に勝っていたとしたら、結果論として、こんなに立派で理想的な憲法は手に入れられなかった可能性がありますね。
あのスタイルで産み落とされた憲法だったからこそ、とことん、平和と個人の尊厳を前面に打ち出した理想の憲法が出来上がったと考えていいかもしれません。
そして、日本はそれを受け入れざるを得なかった。
でも上等。
少なくとも、武器を持つことを認めているような、野蛮なアメリカ合衆国の憲法よりも、我が国の憲法は、結果として、はるかに進んだ理想的な憲法となりました。
ある意味では、この憲法は、我が国が戦争に負けたからこそ、手に入れられた憲法であったかもしれません。

その憲法を、安倍内閣が、今こうまで躍起に、修正しようというのはどういうことか。
これは、つまり、暴走しないようにと檻の中に閉じ込められているはずのライオンが、勝手に内側から、その檻の鍵をこじ開けようとしている。
要するに、そういう図式なわけです。

政府が、与えられた職務から逸脱してしまわないように仕掛けたはずの憲法という檻を、とりあえずは民主的な手続きをふまえて、巧妙にはずそうとしてる。

安倍政権悲願の、憲法改正案件は、つまりそういうことなんですね。

そして、そういう暴挙を彼らに画策させる、最大の原因は、実は国民の無知と無関心にあります。
僕もそうでした。
だってそう思いません?
要するに、国民はいろいろな意味でバカだと、今の安倍政権には、腹の底で確実になめられている。
どうにも、なにかにつけて、そんな気がしてなりません。

確かに、我が国の憲法に対して、その主権者たる国民に、一定の知見がないという事実は、考えてみればやはりゆゆしき問題,。

これは、きちんと勉強しておかないとやばいぞ。
やっとそういう気になれました。

そして、この憲法という檻の中で、きちんと国家運営がなされているか、目を光らせていないといけない。

そう考えると、これは憲法違反ではないのかという事案が、なにかとボロボロ出てくる。

公文書改ざん問題然り。モリカケ問題然り。

何が、どの条文に違反するのかは、また長い話になりますから割愛しますが、言えることは一つ。

憲法を変えようとする前に、あんた方、まず守れよという話です。

長々と失礼しました。

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