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2019年01月17日21:04

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ミクシィの新たな船出に(7)(歌の想いの海)

 このシリーズ長くなりそうなので「仮面ライダーは語る」という文字を入れてしまうと一つ一つの今日のテーマがわかりません。  しばし外させていただくことにしたしだいです^^。  ここから始まりです↓


昨日、今日は「山賊の歌」(私の音痴が治ったきっかけとなった歌)を はん世紀ぶりにカラオケボックスで歌って YOUTUBEアップするかもしれない、と書きましたが、

仕事中の疲れ具合で、 今日はカラオケに行くのを中止しました。

若ければ、いくらでもこのへん無理はききますが、 ここは71歳なので体の健康のほうを優先させていただいた次第です。

今週の土日は休めそうなので、その時、歌その他のYOUTUBE映像を撮影して、こちらの紹介させていだだこうと思います。


きょうは、歌の 心の世界について、もう少しだけ詳しくお話させていただきます。

それとからめて、ダンスについても少しお話しする予定です。

まずは、歌心の基本についてとなります。


要は楽しく歌えれば それが歌なんですけど(楽しく歌えれば、それだけで何かが伝わる)、

歌という音楽と詩の合作作品の裏には 男女の恋の機微とか とても微妙微細なそして繊細な人生の生活の様相がにじんでいたりするので、 それをどのようにとらえるかで、表に伝わる深みが変わってきます。

時には、悲しみの深さ、時には人生のつらさ、 どん底、そんな場面の歌でさへ、 ある深い魂(たましい)の発露が物語られていたりするんです。

また、一見子供のための歌のようでいて、とても力強い歌い方が可能な歌があったりします。

なにものにも負けない 男性的は力強い歌も、 だだの意志だけの強さではなく、もっと大地に根付き、生活のこやしになるような歌がたくさんあるんです。

そして、そのそれぞれの 歌に隠された「想い」の深さというものは、実は、どこまでも深いと言えてしまうのです。

それは 「想いの海」とも言えるでしょう。

その「想いの海」が  他の人の胸にむかって、あるいは生活する大地に向かって、打ち寄せ始めるとき(他の人に伝えたくなるとき)   そこにその「海」は  「歌の海」は、うねり始めます。

「想いのうねり」です。

これがグルーブ感とか呼ばれている声の深みの世界なのですが、

この「うねり」が 打ち寄せる波のリズムとメロディーに 合わさる時に、 それは「歌」と呼ばれるもの、 その詩、その歌詞を 歌い上げはじめるわけです。

なので、 まずは すべては、その想いのパワーから始まる、と

言い切ってもいいのではと、私は思っているんです。


パワーといっても この段階では、何も声量の大きさとか幅とかいう事ではないんですが、 むりに大声を出すとかいうのでもなく、
生活の機微、こころの中身を写し取るとで 自然に気持ちが乗ってくることによって 生まれゆくパワーのことです。

ここが 大事なわけですが、

今日は この部分は(詳しくは)略しますね。

大体の意味合いは解ると思いますので。

この自然なパワーが生まれると それが音楽のリズムやメロディーをよりしっかりとらえる力にもなり、  こうして、ここが一番、音痴を治す強力なステップとなるところなのです。

歌は、最後は 人の胸に向かって、力を抜くというのがコツかとも思います。

海の波が砕けるような感じのところですね。


でも、 その前には、

心の歌の世界では、あるいは 本当の歌の歌い方の世界では、

どこまでも、どこまでも、どこまでも、 心と歌のつながりをもとめつづけてゆく世界になっているのだ、ということを  この「想いの海と歌」の例えから 少しでも理解していただけると幸いです。


カラオケの採点の機械は役に立つと思います。

なぜなら機械は 嘘がつけない、感情に左右されない、そして極めつけ完璧に正確である点では、人の能力を凌駕しているからです。

でも、この 心の歌の全体像で わかると思うのですが、

音程正確率 つまりどれだけ正しくリズムとメロディーをとらえた歌い方ができているかとか   それとビブラートや節回しもありますが、 それも含めての正しい歌い方、あるいは音痴でない歌い方を 測れるだけなので、

それ自体だけでは、歌というより 人間楽器となってしまうだけなんです。

楽器演奏も ただの機械だけの音ではないわけです。 そこには心のこもって指のリズムが必要です。

機械になっただけでは、歌の全体は進化しません。

なので、 歌の練習の時には、 むしろ カラオケを外しまくったっていいぐらいなんです。
また パワーに関しては カラオケボックスを飛び出すような勢いや大きさが大事だったりすると思うのです。


こうした歌の道の追及は、 けだし、私の場合 ダンスの道から来ています。

心のダンスの世界を、ただ一筋に求め続けてきたからです。

そして、それは ようやくある完成の地点に向かっているのです。

完成といっても、そこが頂上であるとかいうのではないのですが、 ともかく、だからこそ  歌の世界とも合流がはじまったとも言えるのです。


おそらく、歌の世界と踊りの世界は、同時にその「完成」へと向かうでしょう。


歌と踊りは、もともとは、私たちの人類の生活の営みのひとつでした。

音痴が治る本当の因果がわかれば、その気づきに恵まれれば、それは解ります。

昔の素朴な時代には、

それ以上はうまいも下手もなかったと思います。

みんなが 魂(たましい)の底から楽しんで歌って来たんです。



カラオケ時代が始まりました。

ミクシィにも たくさんのそのコミュがあります。

もともとの ほんとうにみんなが歌える時代が来るといいですね。


その魂(たましい)なら もちろん介護のことも 忘れたりはしないでしょう。

人間の弱さを知り、時に苦しみ、それを乗り越えた人、乗り越えようとしている人だけが、 歌の想いの深みをさぐってゆけるからです。

弱い人たち、障害のある人たちを バカにしない心そのものこそ、歌の世界だからです。


今の歌手の人たちはそこを訴えないですよね。

私にはそこがいまいちに思えて仕方ないんです。


そのことはまた、書きましょう^^。

今日は以上とします。








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