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2019年01月12日10:21

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◎ 新時代への変遷 ◎

「若さ」第469号
※ 四方山話 ※

◎ 新時代への変遷 ◎

   時の流れは止められませんが、5月から新時代になるという今も30年前の昭和から平成への変遷は、忘れることが出来ません。
 個人的な事由・事情のあることも否めませんが、あっと言う間の30年でした。 

 昭和64年1月7日の早朝、昭和天皇崩御のニュース(連絡)は忘れることができません。
 本年1月7日、天皇、皇后両陛下は昭和天皇が埋葬された武蔵野陵(東京都八王子市)を訪れました。
 武蔵野陵では同日午前に「昭和天皇三十年式年祭の儀」の一つである「山陵の儀」があり、安倍晋三首相ら三権の長ら約80人が参列しました。 

 7日の朝日新聞一面には「昭和天皇 和歌磨いた跡」「昭和天皇が鉛筆で和歌を推敲したとされる罫紙とともに、その歌を側近の徳川義寛侍従長(当時)が写し取ったとみられる毛筆の書が見つかった」という記事がありました。
 その24・25面には関連の記事と、60年から63年の歌が掲載されていました(64年1月7日(土)午前6時33分。昭和天皇が87歳で崩御)。
 その歌の幾つかを紹介します。
 昭和60年(1985)
 「秋ふかき海辺の眺め澄渡りみれどもあかずホテルのひるに」(鳥取県境漁港にて)。
 「白波のたゝぬ静けき海原にほのかにみゆる伊豆の大島」(冬・霜月の須崎。12月13日)。

 昭和61年(1986)
 「いにしへの唐のその他の焼物をやかたみたりきうつくしくして」(大阪府の旅行・東洋美術館をみる・5月10日)。
 「韮崎をさして進めば雨やみてみねのそびゆる(そびえたち)やつがたけみゆ」(山梨県の旅行・10月13日)。 

 昭和62年(1987)
 「災にみを顧みず諸人をたすけしいさをよろこびにけり」(大島の災害を救助せし人々にあひて。視察を終えて船上から手を振る昭和天皇の写真あり。62年6月)。
 「熱海さし小田原よりは人のひくくるまにのりて雪の中ゆく」。

 昭和63年(1988)
 「晴渡る年の初に諸人はおほくあつまりいはふうれしき」(1月2日の皇居の参賀)。
 「やすらけき世を祈りしもまだならぬくちおしきかなきざしみれども」。
 「いつのまによそぢあまりもたちにけるこのしきまでに(のうちに)やすらけき世みず」。
 「あゝ悲し戦の後思ひつゝしきにいのりをさゝげたるなり」。
 (全国戦没者追悼式・昭和63年8月15日)。

 昭和天皇崩御の当時、私は総務担当の仕事をしていたため、63年の秋ころから天皇の容態が心配な状況となり、常に情報連絡のとれる態勢を執っていましいた。
 当時は、パソコンやスマホなどの無い時代で、休日などには行動予定を登録し、外出時はポケベルに信号を送り、受信者が電話で連絡を取るようになっていました。

 天皇崩御の当日は、新年始まったばかりで、七草粥を祝って出勤予定でしたが崩御の電話連絡を受けて大急ぎで出勤しました。
 街には既に黒い喪章の半旗が掲げられていました。
 その後、内外に向けての国家的行事が続きました(竹下登内閣総理大臣、小渕恵三官房長官)。

 (1月8日から平成元年)2月24日(金)、氷雨の降る寒い一日でしたが「大喪の礼」が東京・新宿御苑を中心に行われ、国内からは多くの官民の代表者を始め、163カ国・28国際機関の代表ら約9800人が参列しました。 

 昭和時代は、大正時代が短かったために64年と長く、本年4月に退位が決まっている平成天皇の二倍以上です。
 激動の昭和時代を大きく分ければ、20年8月15日の敗戦を境とする戦前と戦後です。
 戦前を知る世代が少なくなっていますが、私は昭和20年(1945)4月に小学校に入学して、その4カ月後の8月15日に無条件降伏という未曽有の国難を迎えました。
 米軍の統治下で民主主義という国家体制が布かれ、敗戦直後の国民生活の困窮と混乱は極度にありましたが、最も天地動転の出来事は天皇制の廃止でした。
 海外への侵攻、軍部の専行も皇国・天皇陛下の名のもとに遂行されていました。 

 昭和は、単に長期に及んだ時代ではなく、国運を掛けた変革と再生の時代となっています。
 少子高齢化が進むなかで、日本の人口の78.2%が昭和生まれとなっています(30年10月1日・現在)。
 日本の全人口は、1億2,777人で、明治生れが35万5千人(0.3%)、大正生れが662万2千人(5.2%)、昭和生れが9997万5千人(78.2%)、平成生れが2081万7千人(16.3%)となっています。
 国の人口は、国家存立の基本的な問題であり、単に雇用・労働力対策(外国人労働者の受け入れ)だけではなく、国を守り発展させる視点からの施策が緊要の課題と思います。

❀ 年賀状あれこれ ❀

   年賀の挨拶も形態も変わってきております。
 かつては年賀・郵便ハガキに手書き・版画など手の込んだものを数百枚という時代もありました。
 新時代を迎える今年で区切りをという昭和の青年たちも多いことでしょう。
 遠方の友人たちにはもう会える機会も無いでしょう。
 だからこそ年に一度の挨拶が必要という考え方もあります。
 私の場合、三桁から二桁に減ることは間違いありません。

 賀状にもいろいろありますが、近況の一言もなく「謹賀新年」だけの印刷では62円がもったいない。
 私より高齢ながら春から一年掛の菊作りを毎年写真と説明で全面を駆使してくる賀状もあります(菊の写真を見ただけで、今年もお元気だと分かります)。
 年末(22日)の忘年会の写真を賀状にして送ってくれた幹事もいました。
 参加メンバー以外の人には、また別の賀状を作っていることでしょう。
 私より二歳若いだけの老人?ながらその意気込みは誠に頼もしいものがあります(気力・体力)。
 減っていくことは間違いのない年賀状ですが、貴重な記念品になることもありそうです。

※ 今日は何の日 ※

12日 明治31年(1898) 第7代目内閣総理大臣に伊藤博文(第3次)。

12日 大正3(1924)桜島大噴火・死者35人。約1カ月間噴火して幅約450m、深さ70cmの海峡が火山灰で埋まり大隅半島と陸続きとなる。

12日 ・平成22年(2010)1/12 16:53 (日本時13日)カリブ海ハイチで大地震。M7.死者数十万人(日本時間13日)。各国救援隊派遣。

13日 安政7年(1860) 咸臨丸が米国サンフランシスコ向け品川を出港。軍艦奉行・木村摂津守、教授方頭取・勝麟太郎、通弁・中浜万次郎、奉行の御供で福沢諭吉など総勢107人が、横浜、浦賀を経て1月19日、時化模様の太平洋に乗り出した。

13日 平成24年(2012) 民主党野田佳彦内閣改造。岡田克也・副総理、小川敏夫・法務、平野博文・文科、田中直紀・防衛、松原仁・公安、拉致の5閣僚。 退任は、平岡秀夫・法務、中川正春・文科、一川保夫・防衛、山岡賢次・公安・拉致、蓮舫・行政刷新の5閣僚。

14日 昭和34年(1959) 「宗谷」第三次南極観測、1月14日〜2月3日まで20日間にヘリ58便。村山雅美越冬隊長以下14人と資材57トンを輸送。二次観測の際置き去りとなっていたカラフト犬「タロ」「ジロ」が生存していた。これは三次の成果と共に明るい話題となった。

14日 昭和45年(1970) 63代目内閣総理大臣に佐藤榮作(3次、連続)。

14日 平成24年(2012) 地中海クルーズ大型客船座礁・転覆。イタリア・  クロチエレ社運航の「コスタ・コンコルディア号」112,000総トン(長さ290m、平成18年(2006)7月就航、)が、1月13日夜(日本時間14日朝)乗客3,216人、乗組員1,013人が乗船して航行中、イタリア中部ジリオ島沖合で座礁・横転した。この事故で17人が死亡、15人が行方不明、多数の負傷者を出した。乗船していた日本人(観光客)43人は無事。(24年1月28日・現在)。

15日 昭和11年(1936) 横綱双葉山が安芸ノ海に敗れて69連勝でストップ。当時は年2場所制で3年にわたり無敵だった。平成では、横綱白鵬(モンゴル出身)が63連勝。大関稀勢の里が連勝を止めた。

16日 昭和15年(1940) 37代目内閣総理大臣に米内光政(36代・阿部)。

16日 アルジェリア東部イナメナスの天然ガス関連施設がイスラム武装勢力に襲撃され、我が国プラントメーカー「日揮」(本社・横浜)の駐在職員が10人殺害された。

17日 明治45年(1912) 英スコット大佐が南極点征服(世界で二番目)。帰途全員(5人)凍死(最後の記録3/29)。

17日 平成 7年(1995) 阪神淡路大震災(死者6,308人、負傷者4万3,177人(H.29.1.17.現在)、約25万棟が全半壊。震度7、M7.2。コンテナ埠頭、港湾施設、高速道路(高架橋)など被害甚大。消火機能マヒ、木造家屋・火災による死者多数(建築基準法の改正へ)。

18日 平成27年(2015) 民主党代表に岡田克也(61歳)。細野豪志、長妻昭と3立候補。決戦で細野・120、岡田・133:逆転勝ち。(平成21年・民主党初政権・鳩山由紀夫代表。22年・菅直人。23年・野田佳彦・衆院選、敗北下野。自・公政権復活。24年・海江田万里・衆院選、落選。27年・岡田代表)。

※ 季節の句 ※

              つぎつぎに  子等家を去り  鏡餅       加藤楸邨

               さざ波に   和して白鳥   浮き沈み     山本けんえい

               昭和から   七草粥の    三十年        若さ

                                            「若さ」第469号












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