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2019年01月09日02:30

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1月9日

日本占領下のフィリピン・ルソン島に米艦隊800隻が集結し上陸を開始:昭和20年のこの日。ルソン島の戦いは、昭和20年1月6日から終戦までフィリピン・ルソン島で行われた、日本軍(第14方面軍:司令官 山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のことを言う。首都マニラは3月にアメリカ軍が制圧したが、その後も終戦まで戦闘が続いた。日本軍に機甲師団が配属されていたため、太平洋戦線では珍しく多くの戦車戦が発生した。
1月4日、アメリカ軍航空隊は、マニラ〜リンガエン湾間を対象とする爆撃を開始した。1月6日からはアメリカ海軍第7艦隊による艦砲射撃が開始され、3日間かけて日本軍の海岸陣地の大半を破壊した(リンガエン湾上陸、1月6日〜1月9日))。1月9日の朝、アメリカ第6軍所属第25師団・第32師団及びその他の6個師団など175000人はリンガエン湾への上陸を開始した。まずは第6軍第1軍団所属の2個師団基幹が北方へ、第14軍団所属の第1騎兵師団と第37歩兵師団はマニラ攻略を任務として南方へ向かうこととされた。日本側は第23師団と独立混成第58旅団、それに第23師団に配属された戦車第2師団の重見支隊(支隊長:重見伊三雄少将。戦車第3旅団基幹の戦車約60両他)が迎撃にあたった。1月16日夜には第23師団及び独混第58旅団のそれぞれ1個大隊が重見支隊の支援を受けて夜襲をかけ、予想以上の戦果を出すなどの積極的な活動を見せていた。しかし下旬にもなると沿岸の第23師団の第一線陣地は分断・包囲され、北部担当の独混第58旅団や東部内陸の第10師団も次第に消耗していた。27日にはサンマヌエルで重見支隊が全滅し、重見少将も戦死した。北上するアメリカ軍第1軍団は、ルパオやサンホセなどで戦車第2師団主力の迎撃を受け、激しい戦車戦が発生した。2月中旬までに日本軍戦車はほぼ全滅したが、この間に、北部の日本軍は山地へと物資を輸送し持久戦の態勢を構築することに成功していた。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、海岸へ向かう米軍第一波。
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