昨日から、猫の容体が急激に悪化。ぐったりしたまま動かなくなり、ペースト状の食事を食べさせたら嘔吐してしまいました。こうなると、薬を飲ませるのも、水分を補給するのも困難。
昨年末のエックス線やエコーでは、肺や肝臓に癌と思われる痕跡があり、癌の末期である可能性があるとのことでした。正月を迎えた時は、「これが最後の正月になるだろう。20歳になる5月くらいまで持ってくれれば…」などと思っていましたが、もはやそんな悠長な状況ではなさそう。あと何日持つか、という感じです。
昨日は、2度も医者に連れて行くことになってしまいましたが、夜になって、さらに容体が悪化してたので、今日も連れて行って、安楽死を含めて、最期の迎え方を相談する必要があるのかもしれません。さすがにこの状態だと、生かしておくより、早く楽にしてあげたいと思ってしまいます。
医師の話では、猫で19歳というのは滅多に見ない、とのこと。ここまで、ほぼ病気知らず、医者知らずで生きてきた猫なので、今日死んだとしても、天寿を全うしたことになると思います。なので、なるべく苦しまない形で死なせてやりたいです。
この猫は、母親に一番懐いていて、一昨年の11月までは、毎晩、母親のベッドで母親と一緒に寝ていました。本来であれば、猫の方が先に死ぬはずだったんですが、順番が逆になってしまいました。猫も家族の一員だと考えるなら、また1人、家族が減ってしまうことになりますが、こればっかりは、どうしょうもないです。
「半分、青い。」に出てきたセリフで言うなら、「私たちは生きているかぎり、なくし続ける。私は7歳に時に聴力をなくし、律は昨日、和子さんをなくした」ということです。
――とはいえ、まだ生きているので、いろいろとやることがあります。まあ、人間と違って、猫には“死”という概念・認識はないので、遺言とかもないし、人生の意味とかを考えるようなこともありません。あえて、死ぬ前にやってやりたいことがあるとするなら、母親に抱いてもらうことなんですが、こればっかりは不可能です。
いずれにしても、人間よりかなり気が楽です。もちろん、気が重いことに違いはありませんが。
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