「東京ラブストーリー」からはじまったケータイ時代【平成モバイル史】
2019年01月04日 10:02 AERA dot.
「ケータイに連絡下さい」という言葉がはばかられるほど、もはや過去の言葉になりつつあります。おそらく皆さんが持っているのは「スマホ」でしょうし、連絡手段は「LINE」が当たり前になっているのではないでしょうか。
間もなく終わろうとする元号「平成」は、世界的に見ても、「モバイルの時代だった」とふりかえることができます。通信技術は他の現代の技術と同様、軍事目的で発展しましたが、これが急速に民間に拡がり、無線を用いていつでも・どこでも利用できる連絡手段になりました。
筆者は高校生の頃に携帯電話を手に入れ、常にケータイが「最も身近な情報手段」となった世代です。そんな筆者が平成を象徴するテクノロジーである「ケータイ」をふりかえり、これからどうなるのか、考えていきたいと思います。まずは、ケータイが生まれた時の話からです。
■ドラマで「トレンディ」の象徴に
携帯電話の思い出で最も印象に残っているのは、ドラマ「東京ラブストーリー」です。主人公達が辞書みたいに分厚いものを耳に当てて話をしている様子を見て、幼心に不思議に思ったのは筆者だけではなかったでしょう。
NTTドコモが携帯電話サービスを開始したのは、元号が平成に変わる2年前、1987年でした。
それまで、船舶や自動車向けの無線を用いた電話サービスが提供されてきましたが、最もコンパクトな製品でも重さ3kgで、肩に担ぐため「ショルダーホン」と呼ばれていました。
これを一挙に小型化し、500mlペットボトルほどの容積と900gにまで軽量化したのが携帯電話第1号「TZ−802型」でした。連続待ち受け時間6時間、連続通話時間60分という性能からみても、電波をやりとりする通信の技術と、それを支えるバッテリー技術がまだ幼かったことが推測できます。
平成に入った1989年度に携帯電話の契約数は13万2000台でしたが、250g以下の超小型携帯電話「ムーバ」の登場で急激に伸び、1991年には53万台になりました。こうした契約数増加に対応し、新たなサービスを実現すべく、携帯電話の電波は1993年にアナログからデジタルへと順次変化していきます。これにより、9600bpsと現在の最高速度の1万分の1ではありましたがデータ通信の道が開け、現在のような通話以外のモバイル活用が可能になったのです。
■PHS「ピッチ」
端末も通話料金も高額な携帯電話に対して、1995年に「PHS」(Personal Handyphone System)と呼ばれるサービスが開始されました。軽くて小さく電池が長持ちし、価格も安かったため、高校生はむしろPHS、愛称「ピッチ」に群がったのを覚えています。
PHSははじめからデジタル方式で通話の音質も良く、また32Kbps(32000bps、携帯電話の3倍)の通信速度を実現していたため、都市部ではビジネスユーザーが出先でネットワークに接続するなどの用途にも利用されてきました。
しかし、エリアが狭かった問題、携帯電話の進歩が急速だったこともあり、2008年にドコモはサービスを終了、25年間でその歴史に幕を閉じます(ソフトバンクなどは2年まで)。日本においては、PHSが競合として存在していたことが、携帯電話の低価格化、高性能化の速度を一挙に高め、また、世界的に影響を与えるサービスを生み出すきっかけとなりました。
■iモードの登場
1999年に、NTTドコモは携帯電話のデータ通信を用いた情報サービス「iモード」を発表しました。これによって、モバイル通信を用いたコンテンツビジネス、コミュニケーションが一変していったのです。
iモードは、携帯電話に最適化されたウェブやアプリ、ゲームや着信音のダウンロード、またメールなどのコミュニケーションサービスを提供することで、携帯電話の使い方を全く異なるものへと変えていきました。
月額100円程度から利用できる情報サービスやゲームが登場し、また音楽のダウンロードも利用できるようになりました。
何より強みだったのは、携帯電話はパソコンの一家に一台と違い、一人一台へと普及していったことです。そこでのコンテンツサービスを展開したことで、2007年までの8年間で、ゼロから出発した市場は約5000億円にまで発展しました。
実はiモードは、テクノロジービジネスの本拠地である米国・シリコンバレーでも注目されるビジネスモデルでした。
四半期ごとに100億ドルを売り上げる世界最大規模のモバイルアプリストアを擁するAppleや、世界で20億台が稼動するAndroid向けのアプリストアを運営するGoogleは、日本でiモードなどのケータイコンテンツビジネスを手がけていた人材を登用してきた経緯からもわかります。
シリコンバレーで取材を続けてきた筆者からすると、ケータイ世代であるという贔屓目を取り除いても、日本のケータイの発展がなければ、現在の世界的なスマートフォンの発展も難しかったのではないか、と考える理由です。
■あらゆるモノをのみ込むケータイ
もう一つ、現在のスマートフォンの流れを作り出したケータイのトレンドをご紹介しておきましょう。それは、生活に必要なあらゆるモノをのみ込んでいく存在であった、ということです。
ケータイは電話を持ち運べる存在でしたが、その後、iモードなどの登場でネットにつながる情報端末として利用できるようになり、若い人にとっては第一の情報手段となり、パソコンやゲーム機の代わりを果たすようになりました。
その後もカメラ付きケータイが登場し、またおサイフケータイによって決済機能が利用できるようになり、ワンセグでいつでもどこでもテレビが見られるようになりました。
サッカー日本代表の試合を電車の中で楽しんだり、東日本大震災で通信が制限されているときでも、最新のテレビの情報をキャッチするなど、楽しみや生死を分ける場面でも活躍したことが印象的でした。
ケータイさえあれば大丈夫。もちろん過信は禁物ですが、生活に関わる様々な道具やサービスがケータイに集まっていく平成時代を経験してきましたが、2011年以降の米国では、スマートフォンで同じ事が起きていた、とふりかえることができます。
■歴史は繰り返す
日本のケータイでの実現から10年ほどのタイムラグを経て、スマートフォンはコミュニケーションやエンターテインメントはもちろんのこと、非接触決済機能や移動手段の確保、健康や医療の情報の管理などを取り込み、ひとり1台を前提として非常にプライベートな情報を、安全に保管するツールになりました。大きな違いは、それを世界規模で同時に推し進めている点でしょう。
今後、通信に大容量高速化や、端末の更なる高度化、文字・画像・ビデオを超えた新しいメディアを前提としたアプリ、そして機械学習や人工知能を使いこなす手段として、スマートフォンは発展していくことになるでしょう。
ただし平成の日本のケータイ史をふりかえると、これから世界中のスマートフォンで何が起きるのかが見えてくるのではないか、という仮説はいまだ有効ではないか、と思うのです。(松村太郎)
---------------------------------------------------------------------------------------
自分は、かれこれ20年くらい前にケータイを持ち始めた。
「アンタは連絡がつかないから、ケータイを持ちなさい」と、言われて・・・。
当時の職場の片隅に、ホコリのかぶったショルダーホン(?)みたいのはあったけど。
ログインしてコメントを確認・投稿する