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2018年12月31日18:36

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年の瀬になって、

近所の知人たちに事故が続いたので、家人にはノーテンキといわれるワタシも、いつになく自分や周囲の「終活」に、いろいろ思いをめぐらせてしまいました。

来年は平成がおわって、世の中どうゆう世界になっていくのか?


94歳で死んだセッカチだった親父は、自分が死ぬことにも気づかずに、最後まで人生を駆け抜けていきましたが。

根がまじめな人だったので、70歳、80歳、90歳の節目には、それなりの心境を息子につぶやいて、それを仕事の上でも実現していたので、息子としても、それをひとつの判断基準にしてきましたが。
死ぬ間際は、なにも言わずに、眠りながら、死んでしまいましたので、手掛かりがありません。

で。もし私も親父並みに生きるとすると、あと20年は生きなくてはいけないので。
体力の衰えを考えると、気が遠くなる時間ですが。

色恋沙汰も含めて、親父並みのリア充を実現するとなると、オタオタしているヒマはないわけで。

まあ不肖ですから、親父並みの成果にはこだわりませんし。
ある部分では、すでに親父にできなかったことを実現してますから、親父に借りはありませんが。

高齢性認知機能不全の心神耗弱の状態にはまっていくのは、ことの必然ですが。
そうであっても、自分なりに、自分に納得して、終わりたいというのが、ワタシの終活です。


ネアンデルタールにない、ホモサピエンスの特徴は、前頭葉を駆使した「見えないモノが見える想像力」です。
洞窟壁画も、政治権力も、シンフォニーも、お金も、リアルには実態がないものを想像した結果、人類は、他の生物を凌駕して、地球を征服したわけで。

人生の最終コ−ナーで、少し自分にできる「想像力の発揮」というやつを、若い世代にまじって、試してみようと思ってます。
出来る出来ないは二の次で、挑戦することに意味があるわけで。

それが親父の息子としての自己証明なわけですから。

親父はサイコパスのアスペルガーでしたから、温厚で健全な性格であるワタシ(笑)には、ハンディーなんですが。

そこを想像力と演技力で、補うことはできるだろうとおもうわけです。

今までずーっと「狂わないように」と、生きてきたのですが。
今は自分を駆り立てる、「狂気が欲しい」とのぞんでいます(笑)

で、最近、まだまだ真似ッコですが、だいぶできるようになってますので、勝算が見えてきてます。

親父は大晦日、だだっ広い仕事場を一人で掃除して、来年に備えるヒトでした。

自分の想像力に、他人が入ることを嫌った親父は、自分の仕事場には、家人ですら入れなかったヒトです。

ワタシも、さっき掃除がおわったので、PCの前に移動して、これを書いてます。


改めて、ここですれ違った皆様のご多幸を、後でお参りする江戸時代の稲荷像がある近所の小さな神社に、お祈りしておきます。

良いお歳を!

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