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2018年12月31日04:29

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12月31日

大本営がガダルカナル島からの撤退を決定。派遣した兵士3万人のうち戦病・饑餓で2万4千人が死亡:昭和17年のこの日。ガダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。 また、兵員、軍艦、航空機、燃料、武器等を多く失ったため国力が大きく減少した。
昭和17年12月31日の御前会議において「継続しての戦闘が不可能」としてガダルカナル島からの撤退が決定された。この決定からさらに1ヶ月を経た昭和18年2月1日から7日にかけて、撤退作戦が行われた。各部隊のほとんどは予定通りに撤退地点まで到着することができたが、身動きの出来なくなった傷病兵を自決させ、あるいは「処分」することが大規模に行われていたという。
ガダルカナル島に上陸した総兵力は31,404名、うち撤退できたものは10,652名、それ以前に負傷・後送された者740名、死者・行方不明者は約2万名強であり、このうち直接の戦闘での戦死者は約5,000名、残り約15,000名は餓死と戦病死だったと推定されている。一方、アメリカ軍の損害は戦死1,598名、戦傷4,709名であった。このとき撤退は「転進」という名で報道され、撤退した将兵も多くはそのまま南方地域の激戦地にとどめ置かれた。ガダルカナル島の最後の日本兵が投降したのは、昭和22年10月27日である。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、ガダルカナル島要図。北岸中央部がヘンダーソン飛行場。
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