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2018年12月30日22:54

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初詣は御礼参り

初詣は御礼参り。

願掛けは眼欠けだからするなとはスピリチュアルで頻繁に言われる事で、何らかの代償を支払う羽目に陥ると以前記事にも書きました。神社に拠っては神では無く眷属や強力な力を持つ幽界のエンティティを封印している場所も有り、そんな所で願掛けしようものなら眼だけでは済まないでしょう。勿論、次々に人間が不幸になっては大変なので、その様な場所は常に供物が捧げられていたり専門の霊媒師が見張っています。
詳細は過去記事に譲りますが、これは恐怖を煽っているのでは無くエネルギーを観れば判る事なので、知識として持っていれば十分です。

簡単に言うと神社・仏閣・教会はエネルギースポットに建てられており向こう側と繋がっている為、物欲満載の低波動は悪霊邪霊を呼び込み危険なのです。反対に感謝だけを伝える御礼参りは高次元と繋がる為、加護を受け易くなると言う仕組みです。
布施や寄付も感謝の印として行うなら良いですが、「○百万円払ったんだから願いを叶えてくれ」は取引なので止めた方が良いです。「悪魔に魂を売る」と言う表現の通り、取引は下層幽界の低級霊を呼びます。
そもそも無条件の愛の神や無条件の慈悲の仏に対してカネをチラ付かせて取引を持ち掛けている時点で悪霊の所業ですので論外ですが、エネルギー的にも控えた方が賢明です。
お金は神社仏閣教会に携わる人達の運営費用にして貰えば良いので有って、願望実現の取引材料では無いと言う話ですね。

引き寄せの観点から説明すると、霊験灼かな神社仏閣教会で願掛けをするのは潜在意識に向かって「今は無い」「足りない」を強烈に印象付ける為、却って実現が遠退きます。引き寄せは「既に有る」波動を出す事で「既に有る」世界を顕現させるので、既に有る物への感謝を伝えるのが近道です。

昔は平均寿命も短く、今なら簡単に治る病気で命を落とす人も多かった為、無事に1年を乗り切るのは大変でした。そこで年末の大晦日にはお寺へ赴き「今年1年、無事に過ごせました、ありがとうございます」と仏様に感謝を捧げ除夜の鐘を聞き、年始の元旦には神社へ参拝し「無事に新年を迎えられました、ありがとうございます」と神様に感謝を捧げたのです。そこに取引は有りません。ただただ感謝のみ。感謝は光なので、光に見合った出来事が現実化する訳です。それを「奇跡だ」「神の御業だ」と言っているに過ぎません。

別に絵馬を書いたり祈祷して貰うのは構いませんが、「今は無い」に焦点を当てない事です。正月早々、あれが無いこれが欲しいと重々しいエネルギーを纏って出掛けても楽しく有りません。最初から神様に御礼だけを言いに行くので有れば、初詣もシンプルになります。

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