「遠回しの嘘と愛に満ちた正直」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19483 (写真入り記事)
あくまで私の経験上のことですが、「行けたら行くね」と答えた人が来た例(ためし)がありません。
ニュアンスによりますが、「考えておくね」「祈っておくね」というのは、考えず、祈らず、遠回しの断りである場合が多いです。
便利な言葉かも知れませんが、そういう意味合いで使われてしまうと、本当に、「行けたら行こう」と思っているのに、「この人は来ないんだな!」と決めてつけてしまったり、本当に、考え、祈って決めようとしているのに、「嘘ばっかり!」と感じてしまうとしたら、とても悲しいです。
だから、あえて、私はそのようには使いません。
聖書は、「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」(出エジプト20:16)つまり、「嘘をついてはいけない」と語ります。
私が、「行けたら行くね」と語る時は、体調が悪い時や、用事がバッティングしていて、行きたいけれど、行けない可能性がある時です。最初から行けないことがわかっている時には、はっきり断るか、思わせぶる言葉は避けます。
私が、「考えておくね」、「祈るね」と言う時は、考え、祈ります。最初から断るつもりの場合は、何も言わないか、断るか、理由を話します。
残念ながら、嘘をつかない人は居ません。
もし、「私は嘘をついたことがありません」という人は一番嘘つきなのかも知れません。
できる限り嘘をつかない方法は、嘘をつかなければいけない時には、「それは言えません」とか、「答えたくありません」とかと言うようにします。
嘘をつくと、心に罪責感を感じるので、幸せが損なわれてしまいます。
また、一度嘘をつくことで、その嘘を隠し通すために、繰り返し嘘をつき、嘘の上塗りをしなければいけなくなってしまいます。
そしてある日、辻褄が合わなくなって、嘘がバレてしまうものです。
ただ、正直であることが絶対にいいとは限りません。
子どもは正直です。
頭の髪の毛が少ない人を見て、「あの人ハゲてるね」と言い、太った人を見て、「あの人デブだね」と言い、病気で顔が変形した人を見て、「あの人変な顔だね」と言ったりします。
正直ではあるけれど、これは困ります。
あるおじいちゃんが入院し、親族一同が集まった時、医師から、「数日が山です」と聞きました。
お葬式の準備がはじまりました。
冬休みになり、孫たちの顔を見ているうちに、おじいちゃんは段々元気になっていきました。
みんなが口々に、「まだかな?」「いつお葬式になるんだろうね?」と言い合っていました。
そこに、一番元気のいい孫が来ていいました。「おじいちゃん、まだ?」
親族や親は、「この子は何ていうことを言うんだ。困った子どもだ!」と思ったそうです。
しかし、その次に出て来た言葉は、「おじいちゃん、まだ元気にならないの?」「早く元気になってね!」でした。
「正直であればいい」ということではありませんが、愛に満ちた正直はいいですね。
聞いた人を励まし、元気にさせ、明るくします。
単なる正直ではなく、愛に満ちた正直な人になりたいですね。
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ4:29)
今日もステキな一日でありますように。
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