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2018年12月28日12:08

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父・西部邁に死なれた娘と息子

NHK「事件の涙」
「死にたいと言った父へ 〜西部邁 自殺ほう助事件〜」
【放送予定】12月27日(木)総合 後10:45

今年1月、東京・多摩川で自殺した評論家・西部邁氏(享年78)。「自分の最期は自分で決めたい(=自裁死)」と公言していた、いわば“予告”された死だった。死の数時間前まで、側で見守り続けた遺族が、重い口を開いた。編集者として、父親を支えてきた娘だ。父と一緒に母親の介護と死を経験したため、父の気持ちを尊重したいと思う一方で、「自裁死」の話が出ると「出来るだけ聞かないようにしてきた」という。一方、息子は、「迷惑をかけてもらっていい。介護は俺がする」と考えていた。しかし、父とはそのことで度々口論になり、喧嘩別れのまま終わってしまったという。最愛の妻の最期の姿を見て、自分は家族に壮絶な死を背負わせたくないと“自裁死”を選んだ西部氏。止めることはできなかったのかと自問自答する家族の思いを見つめる。

【ナレーション】西田尚美

http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=17238

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ボクにとっては、結構きつい番組でした。

西部邁が自殺に至った動機については、特に新事実もなくて、むしろちょっと足りないくらい。4年前に癌で亡くなった奥さんの最期が「壮絶だった」とのことで、西部氏が残した手記によれば「殺して」と言われたらしいです。

番組では、周囲の関係者の声は一切拾っていなくて(何か意図がある?)、遺された娘と息子の証言だけで構成されていました。これが、ボクにとっては、実に身につまされる内容で、親に死なれた人間の、ああでもない、こうでもない、という割り切れない後悔の念だけを伝えていました。

ボクの母親は自殺ではなくて転倒事故ですが、共通点が多いというか、後悔のポイントが妙に重なります。「防げたんじゃないのか」とか、「あの時、もっと違う対応ができたんじゃないか」とか、「時間が十分にあったのに、大事なことを話していなかった」など。

自殺を止めるのも、転倒事故を防ぐのも、24時間見張るしか対応方法がないわけですが、それは不可能です。それでも、何とかならなかったのか、と思ってしまうのがつらいところです。

西部氏の息子さんは、司法解剖で脳の萎縮が発見されたことを重視していて、「自分の脳が壊れていくのが恐ろしかったんじゃないか」と証言していましたが、あの年齢(78歳)なら、特に驚くような話ではないです。むしろ、それに驚くということは、最期までかなり聡明だったということなんでしょう。ボクの母親も10年くらい前から、脳の萎縮が確認されていたので、「こんなにバカになってしまって……」みたいな愚痴は、よく言っていました。西部氏にも、そのような自覚症状は当然あったのでしょう。

西部氏の娘さんが言っていたのは、自殺の1か月くらい前の深夜に、西部氏が「コーヒーでも飲まないか」と声をかけてきたという話。「もう遅いから」と断って、寝かせてしまったのを後悔しているそうです。この感覚、本当によくわかります。

日常生活というのは、今日やること、明日やらなければいけないこと……など、それなりに慌ただしいですから、大事なことをじっくり話す時間がなかなか持てません。ボクの母親も、ときどき「私が死んだら」みたいなことを話しかけてきましたが、ボクの方は「このあと○○しなくちゃいけない」などと考えてるから、雑な対応をしていました。これが、癌で余命半年とかだったら、もっと違う対応をしたと思いますが、そういう切迫した状況ではなかったので……。

娘さんは、「母親の最期の時、言えなかった言葉があって反省したのに、父親にも言えなかった」と言っていましたが、本当にそうなんです。ボク自身も、できるだけ後悔しないようにと考えていたはずなのに、結果は真逆でした。

1年たって、改めて考えてみても、どこが間違っていたのか、さっぱりわかりません。個々の場面では、100点満点ではないにせよ、そこそこ合理的な判断・行動をしていたはずなのに、それが全部(?)裏目に出てしまった、としか言いようがないです。「よほどのことがなければ、まだ死んだりはしないだろう」と思って判断・行動していましたが、「よほどのこと」が2度も立て続けの起こってしまいました。(転倒事故による硬膜下血腫と、主治医も予見していなかった急変)

西部氏は遺書に、家族に迷惑をかけたくないと書いていたそうですが、ボクの母親も同じようなことはよく言っていました。

転倒事故の1週間前なのか、数か月前なのか、よく思い出せないのですが、母親に言われた言葉を覚えています。

「死ぬのが怖いから生きているだけで、これ以上、生きていても生きる意味がない。家族に迷惑をかけるだけ。ただ、自分の人生の中で、お前たちに出会えたことだけは良かったと思っている」と。

ボクが「もう死んでもいいのか?」と言うと、「もうちょっと生きるつもりだけど」などと笑っていましたが、結果的には、それが遺言のような形になってしまいました。

転倒事故の1〜2年くらい前には、「人生は虚しい。若い頃はいろいろなことをしたが、結局何も残っていない」と言っていたこともあります。その時は「みんな同じなんじゃないの」と、そっけなく答えましたが、今になって思えば、かなりマトモな答えをした場面だと思います。これより上等な答えは、今でも思いつかないです……。

母親は、不慮の事故なので、遺書などは残していませんが、それでも上記のような言葉を残して死んでいったのだから、少なくても、そこは褒めてあげてもいいのかもしれない、などと思ったりします。従姉に言わせると「そういうことを話せる相手が、そばにいただけで幸せ」なんだとのこと。……そうかもしれないです。

西部氏の娘さんは「父親との向き合い方を間違っていたのではないか。やり直すことができなら、やり直したい」と、息子さんは「失敗しました」と言っていました。

ボクは、西部邁が自殺を選んだことを、頭ごなしに否定するつもりはありません。むしろ、その気持ちは尊重してあげたいとすら思います。ただ、結果論でいえば、娘さんや息子さん(および自殺ほう助の2人)に深い傷を残してしまったのは事実です。……こういうことを含めて、諸行無常というのでしょう。

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