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2018年12月23日20:55

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天皇誕生日の日だけど日本人と神様の関係とは?

またまた、長文になりますが、興味のある人は読んでみて下さい。日本の宗教についてドイツ人に説明した時の話です。これもかつてGREEのブログに書いたものです。

ドイツに語学留学していた時、ドイツを始めキリスト教国家の祝日は、ほとんどがキリスト教的な意味合いの祝日であることを知った。少しびっくりした。

ドイツで僕がホームステイしていた時に、ドイツ人の家族とこういう会話をした。

僕「多くの日本人は神様を信じていません。日本のレストラン、喫茶店などで友達と雑談している時に、『僕は神様を信じているんだ』と言うと、周りの数人の日本人には『何を言ってるんだ?変なヤツ』と思われて、少し変な目で見られます。でも、ドイツでは『私は神様を信じる』と言っても、友達からは『そんなの当たり前だろう。ドイツにはキリスト教民主同盟という政党もあるんだし』と言われるだけですよね?」

主人「そうだよ。ドイツでは神様を信じるように教育されてるからね。でも、最近は日曜日に教会に行く家族も減って、キリスト教的なものと言えば、クリスマスとイースター休暇ぐらいかもしれない。我々も数年間、日曜日に教会には行ってないしね。日本人が神様を信じてないのは、お金を信じているからだろ?」

僕「ええ、確かにそれもあるかもしれません。ですが、ドイツ人は日本人と同盟していたから、日本人が神様を信じていない理由を知っているんでしょう?」

主人、奥さん、息子「いいや、何も知らないよ。聞いたこともないし」

僕「あっ、そうですか?ドイツ人も何も知らないんですか?じゃあ、ちょっと説明します」

そこで、僕は次のように国家神道について説明をした。

日本では、1945年に第二次大戦に負けるまでは天皇が現人神として君臨していた。国公立の学校、役所、政府、軍隊の建物には天皇と皇后の御真影が飾ってあり、各家庭にも御真影があるべきとされていた。僕の家族は右寄りの思想なので、間違いなく御真影があったと思う。

天皇のニュースが映画館で流される時には、その前に「脱帽」という文字が出た。これは、今から神である天皇の姿が映るのに、帽子を被っていては失礼だからである。そして、天皇陛下の行動を伝える際には、
「賢き処にあらせられましては、恭しくも仰々しくも、その麗しき御御姿を東京市内(昭和20年までは東京市)へと御進めに遊ばせになられ・・・」
という、敬語がたくさんついたものすごく長い文章で伝えられた。

特高警察という、ナチスのゲシュタポのような秘密警察が日本にもあり、日本とその植民地の市民を監視していた。公の場所で天皇家の批判をするというのは、全く考えられないことだった。一部の共産主義者は批判したが、そういう人々は特高警察に捕まり、拷問を受けて強制的に思想を転向するか獄死した。

天皇について何か言及する時は、必ず、「畏くも」と言う必要があった。これは、自分は今から神様である天皇について言及するので、その場にいる人間は姿勢を正せという意味があった。特に公の場所、学校、軍隊ではそうだった。

大日本帝国陸海軍には「統帥権」という概念があり、それは、最高司令官は天皇であり、それを干犯することは外部の人間には出来なかった。実際には天皇は陸軍、海軍の決めた命令、人事に最終的に裁可を与えただけだが、命令、人事の指令書には「御名御璽」という天皇家の判が押してあったので、神様の命令と解釈されて第二次大戦の末期にはこの制度が濫用されて、多くの無理な命令が実行されてしまった。

昭和20年に敗戦した後、連合軍が日本に上陸し、GHQが「天皇陛下は人間にならなければならない」と命令して、天皇とGHQ総司令官のマッカーサー元帥が一緒に写っている写真が、すべての日本の新聞の1面に掲載された。多くの日本人にかなりのショックを与えたらしい。

ここまで聞くと奥さんはナイフとフォークを置き、少し茫然として、
「そんなに神様が酷く、厳しいものだったとは・・・」
と言った。息子は、
「(ローマ帝国の)コンスタンティヌス帝が、ミラノ勅令でキリスト教を承認したのを思い出したよ」
と言った。(それ以前は、ローマ帝国はキリスト教を迫害していたが、ミラノ勅令以降はローマ帝国の国教となった)

主人は僕に、
「ドイツ第二帝国のヴィルヘルム2世も厳しい方で、宮中の方々は緊張していた。ビスマルク首相を追放して、大臣たちの反対を押し切って大海軍を建設したから。それで、天皇自身は何と言ったんだ?」
と聞いた。
「天皇が現人神だった時に発言したことは、いまだに公にはなっていません。公開されたものもありますが、ごく一部です。これはケネディ暗殺事件のようなもので、全てを公開するのは危険なのです。日本にも共産党があり、東西冷戦時代には日本の周りは共産主義国家ばかりでしたから」
と答えた。

主人はさらに、
「日本には仏教もあるが、仏教と国家神道の関係はどうなんだ?それから、侍と天皇の関係は?」
と質問した。

僕は次のように説明した。
天皇家と仏教の間に問題はない。なぜなら、何人かの天皇は仏教徒であり、熱心に大きなお寺、大仏の建立の命令をした。天皇の職を引退した後に仏門に入った天皇もいる。

天皇と侍の関係はそんなに円満なものではなかった。
徳川幕府が、「公家諸法度」を出して天皇と公家を監視していた。
足利尊氏と後醍醐天皇が、北朝(京)と南朝(吉野)に分かれて数十年間争った。
鎌倉時代に、鎌倉幕府の北条家と天皇家が承久の乱で争った。
こういう事実を見ればよくわかること。

主人は、
「それで、君自身は天皇についてどう思うのだ?」
と質問した。
「僕は日本人であることを誇りに思っており、戦争で亡くなった日本兵の方々にも大変感謝していますが、天皇家にはあまり興味がありません。僕のおじいさん、おばあさんなど、年配の日本人は大好きなようですけど。あと、他の国の王室にも興味ないです。イギリスのダイアナ妃の騒動がありましたが、あれにも関心なかったです。別に共産主義者ではないですけど」
と僕は言った。

次に僕は、次のようなことを言って締めくくった。
しかし、日本の国の創造主は天皇家であるという神道の神話があり、それは、決して悪いものではない。問題なのは、それらの神話が大日本帝国政府により利用されてしまったこと。こういう神話は、ドイツにもヴァルキューレ、ヴァルプルギスのようなゲルマンの神々の神話があるのと全く同じ。

日本には「八百万の神々」という考えがある。平安時代の源氏の頭領だった源八幡太郎義家が「八幡大菩薩」として武家の神様となり、各地に八幡神社が出来た、徳川家康が死んだ後に「東照大権現」となり、家康所縁の地に東照宮が出来たのはそのいい例である。つまり、立派な行いをした偉大な人間は“神様”として祀られる伝統がある。

僕が言ったことは、他の日本人、特に年配の日本人には絶対に言わないように。中には怒り出す人もいるので。僕は実際に天皇が現人神だった時を経験したことはないので、これはあくまでも学校で習い、さらに、映画、テレビのドキュメント、ドラマを見て、本を読んだりして得た知識にすぎない。実際の大日本帝国がどういう雰囲気の国だったのかは、戦後生まれの日本人にはよくわからない。これは、ドイツと全く同じ。

最後に家族の人達は僕に、
「それで、君はどの神様を信じているのだ?それとも、神様は信じていないのか?」
と聞いた。
「僕は神道よりも仏教の方に興味があります。あと、侍も好きなので八幡様も好きです。まあ、神道の伊勢神宮などにも行ったことがあり、神社にもなかなか素晴らしい建物がありますので、いいものだと思います。ただ、明治時代に日本政府が神聖化した国家神道には大きな問題があるので、これを崇拝しようとは思いません」
と僕は答えた。

まあ、とにかく、神様は信じないよりは信じた方がいいと僕は思います。新興宗教などではなく伝統的な宗教の方が、もちろんいいに決まってます。

写真左は、仙台にある国宝に指定されている大崎八幡神社本殿。
祀られているのは、成島八幡神・応神天皇・神功皇后・仲哀天皇だそうである。だが、建立を指示したのは伊達政宗なので、事実上は、伊達政宗を祀った神社なのかもしれない。

僕自身は、国家神道時代に建立された靖国、護国神社よりも、こういう伝統的な神社の方に魅力を感じる。

写真右は、有名な昭和天皇とマッカーサーの写真。昭和天皇とマッカーサーの会談の翌日に、GHQの命令により、日本の全ての新聞にこの写真が掲載された。当然、この写真を見て、全ての日本国民はものすごいショックを受けたという。
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