素朴絵画に向けられた視線について
それは「心優しい視線」であり、子供のデッサンに投げられる視線に似ている。この優しさはみるところ、素朴派や子供の作品が我々の感性の奥深くに秘められた〜〜といっても不安を呼び起こすわけではない〜〜地帯に触れているところから生じるのであろう。(中略)
子供や素朴派は普通の個人の中では抑制されている能力を自由に発揮するのである。
ところで、精神分析家は抑制の除去は不安を生みだすことを明らかにした。自覚せる自己は己の防衛システムを脅かす衝動に対して反射的に不快感や恐れを表明する。
そうであるならば、我々は子供や素朴派の作品を前にして、どうして不安より優しさを感じるのだろう。
なぜなら、この程度の侵犯はある限界の手前にあり、そうした作品を眺める者を巻き込むほどの危険性を提示していないからである。子供の多形的性向は宿命的に教育的鋳型の影響を決定的に受ける。素朴派の無遠慮な無邪気さは文化や制度に対する一般的敬意を危うくすることはない。野性味は一定の範囲に封じ込められているので、人はそれを動物園のように安心して眺められるのである。
そしてそこに向けられる優しさにはある種の保護者的態度も込められている。
それは文化がおのれの権威を自覚し味わいながら、時には手綱を緩めるが、決して手放さないという趣である。
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