mixiユーザー(id:29835385)

2018年12月18日16:42

371 view

対立ではなく共存を

■東京駅のエスカレーターで「歩かないで!」の呼びかけ 歩行禁止は「おもてなし」になるのか
(しらべぇ - 12月18日 09:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=5423559

ここ数年、繰り返し訴えられてきて、浸透する兆しはあるのですが、徹底されずに今も続いています。
もちろん「危険」のリスクは高いのですが、この問題を論じる時に、「エスカレーター上を歩くことの是非」を問うことと「歩行時(エスカレーター上)のマナーが悪い」という個人的な問題を一つにしてしまっているところに多くの人が違和感を覚えているところがあると思っています。
エスカレーター上を歩く場合、止まって乗っている人や荷物に当たらないように配慮しながら歩く人もいれば、人や荷物に無頓着にぶつかりながら歩く人もいます。
また、空いていれば歩くが、前に止まっている人がいれば自分も止まる人もいれば、「道を空けろ!」と言わんばかりに(実際には言葉に出す人もいるようですが)乱暴に後ろから「あおる」人もいます。
ある意味、喫煙と同じようにマナーが悪い人が目立つので、どうしてもその行為全体が非難の対象になってしまいます。
また、現代は「総国民相互監視社会」「総国民通報社会」になってきているため行政も企業も、こうした通報で非難されることを極度に恐れています。
そのため、いわゆる「炎上」しそうな行為については、とにかく「禁止」にして自らの責任範囲の外に押し出してしまおうという傾向が強くなっています。
何らかの妥協点を探って行くのではなく、とにかく禁止にすることで「禁止にしたのにやる奴が悪い」という理論にすり替えてしまうのです。
禁止にすれば、代替案や妥協案を探る必要がなくなるから、楽な方法でもあるのです。

しかし、このエスカレーター上を歩く習慣は、昭和40年代中期から定着してきた「習慣」です。
40年以上続けられてきた行動習慣なのです。
一時期、エスカレーターでは右側を空けるべきか、左側を空けるべきかという論争まであって、歩くことは常に「大前提」でした。
その習慣を変えるというのは並大抵のことではありません。
単純に「禁止です」と言うだけで改まるレベルではないのです。
ある意味「禁煙」と同じようなところがあります。
「健康のためにタバコは控えましょう」というキャンペーンはまったく効果がなかったため、タバコ税を上げることで販売価格を引き上げたり、健康増進法という法律まで作って、喫煙場所を法律で強制的に制限したりすることで抑制を行ってきました。
それでも、まだ3割程度の喫煙人口は維持しているわけです。
まあ、嗜好品と移動行動は同じにはなりませんが、それでも一度定着した習慣を変えさせることは大変なエネルギーが必要なのです。
しかも、制限を緩和する方向の習慣は比較的定着しやすいのですが、制限を行う方向の変更は定着しにくいものです。
最近のエスカレーター周りを見ると、立ち止まって乗ろうという人たちが確実に増えていることがわかります。
片側に長い列が出来ているのがその証拠です。
ところが、その待機列がかえって危険のリスクを高めることになっています。
エスカレーター前に長い列が出来てしまうことで、そこを横切ろうとする人たちと直角で交わってしまうのです。
こうした人と人が直角で交わるところは、事故が発生しやすいのです。
だから、二人並んで乗れば、こんなに長い待機列は発生しないのだ、ということになるのですが。
また、この「立ち止まって乗ろう」キャンペーンが行われている過渡期においては、さらなるトラブル発生のリスクも高まるのです。
歩いて乗ることはいけないことだ、という考え方が進行する中で、歩いている人を故意に妨害したり、注意する人たちが増えてくると考えられます。
すべての人が、それを受け入れてくれるとは限りません。
そうした行為が激突することで、かえっていざこざが増えることも懸念されるのです。
つまり、立ち止まって乗るのが「正義」、歩いて乗るのは「悪」と単純に色分けしてしまうと、「悪は責められても仕方ない存在」として攻撃対象になってしまうのです。

だから、究極の目的は全員が立ち止まって乗ることであっても、その入口として「歩いて乗る場合のマナー」というところから入って行くべきなのではないかと思っています。
また、エスカレーターメーカーとしては、歩いて乗っても安全なエスカレーター、歩かなくても移動速度が確保出来るエスカレーターというものの開発にチャレンジしてゆくべきだと思います。
今の社会の流れとしては、立ち止まって乗るべきに傾いてきているのですからここであえて「対立構造」を作り出すのではなく、共存を探って互いに少しずつ譲歩して行くことが求められるのだと考えるのですが。
4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する