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2018年12月18日08:44

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連合軍の将軍、提督たちは軍を勝利に導いた優秀な人物だったのか?

第二次世界大戦の連合軍の将軍、提督たちて本当に優秀だったと思いますか?

ハリウッド戦争映画の影響などで、「第二次世界大戦の連合軍指揮官たちは有能な人が多かったので、連合軍は枢軸軍に勝てた。一方、枢軸軍の指揮官たちは無能なので残酷な住民虐殺までして、国を敗戦に導いた戦犯である」というようなことが常識となっている。しかし、連合軍の指揮官の作戦指導ぶりをよく考えてもらいたい。

有名な失敗例として1944年9月末に行われた「マーケット・ガーデン作戦」では稚拙な状況判断、現地からの情報の無視、短期間の作戦準備などが祟って、英第1空挺師団がほぼ全滅するというすさまじい損害を出している。これを発案して指揮をしたのは英軍のモントゴメリー元帥とブラウニング中将だった。

今は12月なのでベルギーでは「バルジ大作戦」関連の行事があったりするが、1944年12月から行われた「バルジの戦い」でも、ドイツ軍精鋭機甲部隊の猛攻撃でアメリカ軍は数日間は総崩れとなったが、この作戦はドイツ軍の破れかぶれの絶望的な反撃であり成功する可能性はほとんどなかった。だが、名誉欲の強いパットンは「バストーニュで孤立している第101空挺師団を救出する」と豪語して、部下に損害を強いながらもバストーニュで孤立していた101空挺師団を救出した。しかし、バストーニュで包囲されて孤立していた101空挺師団は実は言うと包囲していたドイツ第5機甲軍よりも戦力は多くて、しかも、仮に101空挺師団が降伏したとしても、ドイツ軍が目標のアントワープに到達できる可能性は全くなかった。だから、別にバストーニュ救出はそんなに重要ではなくて、パットンの強い名誉欲が生んだ結果ともいえる。

その前の1943年夏のシシリー攻防戦でも、パットンとモントゴメリーはメッシナ一番乗りを目指して必要のない競争をして部下の損害を増やしたり、連合軍の方にもとても「名指揮官」とはいえない失敗が目立つ。

ソ連軍も似たようなもので、モスクワ防衛線の後の大攻勢の失敗、スターリングラード戦の後の1943年3月のハリコフ攻防戦での失敗など、まだドイツ軍が強かった頃はかなりの失敗をしているが、ドイツ軍が攻勢に出ると補給路が伸び切ってしまうのでソ連軍は救われている。

やはり連合軍は圧倒的な物量の多さで枢軸軍を押し切っただけであって、連合軍の指揮官たちが必ずしもそんなに優秀だったとは言えないと思う。連合軍の指揮官たちがもしも枢軸軍のように限られた物量しかなかったら、史実の枢軸国指揮官と同じように食料の現地調達、住民への虐待などの大失敗をしていたと思う。

連合軍はアメリカ、イギリス、ソ連という大国が同盟していたので物量が豊富であり、何回か作戦が失敗しても取り返せる余裕があった。一方、枢軸国側は物資、弾薬などに限りがあったので、1回、2回の大失敗がもう命とりになってしまった。ミッドウェー、スターリングラードの敗北などを見るとよくわかるだろう。

写真はバルジ大作戦(ドイツ側の作戦名 ヴァハト・アム・ライン ラインの守り作戦)の激戦地となったバストーニュに立つアメリカ軍のパットン大将のレリーフ(左)。ドイツ軍の降伏勧告に対して[Nuts!]「クソ喰らえ!」と回答したことで有名なマッコリーコフ准将の銅像(中央)。バストーニュ市中心部に展示してある戦闘で破壊されたM4シャーマン戦車。(右)いずれの写真も僕が2012年9月に現地で撮影した。

バストーニュはパットン将軍の率いる第3軍が奇跡的な快進撃で解放したことで有名なので、アメリカ軍を讃える記念館、銅像が多い。でも、冷静に考えればバストーニュ解放はそんなに急がなくてもよいことだった。


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