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2018年12月10日22:40

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60年以上は、前のことだけど

■ボール取りに信号待ちトラックの下へ 小5がひかれ死亡
(朝日新聞デジタル - 12月09日 09:15)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5411044

小5よりは小さかったとは思うが。
通りをへだてた家の前のバス停に停まっていたバスの下に、キャッチボールしてたボールがころがりこんで。
私はそれを取りに、バスの下に潜り込んだ。
家の2階からそれを見ていた母親が、騒ぎたてる間もなくバスが動き出して。
始動したバスのエンジン音に驚いた、私について、シッポを振りながら一緒にバスの下に潜り込んだ野良犬は、あわてて横に飛び出して、後輪にひかれて死んだ。

私は、何かを考えたわけでもないが、ボールを抱えたままた肩をすくめていたので、バスは私の上を通り過ぎて、私はそのまま道路に取り残されていた。

「潜り込めたから、潜り込んだ」ので、「潜り込める」という判断は、子ども心にも、私には、「自分の身体なら、出てこれる」という直観があったはずだ。


で、この事故の少年の場合、「後輪にひかれた」というのに、疑問が残る。

子どもがおびえたら、幼い時の私と同じで、そのままその場に縮こまるんでないかな?

なぜ、彼は「横に逃げた」んだろう?

ひょっとして、そばにいた大人が、慌てて「逃げろ!」と声をかけて、子どもはその声のする方に、身体を転がしたんじゃないのかな?

この声のする方に向かう子どもの反応は、何回か経験していて、特に危険時の声掛けは、子どもの行動を予測してからやらないと、思わぬ結果をうむことがある。


なんであれ自分自身のことでは、無意識での瞬間的な本能的行動というのは、案外に「正解」という経験は、その後、大人になっても、タイミング次第で大怪我や命に係わりかねない事故でも、幸い「ヒヤリ・ハッと」でおさまった事故は、私もいくつも経験しているが。
交差点での車の飛び出しや、スマホ自転車とのぶつかりでも、その都度、一瞬、「考えた回避行動」なんとかしておらず、ほとんど「夢中と偶然の作為」で、73歳まで生き延びてきた。

むろん明らかに「無謀な行動」はしてないし、相手が危険とみれば、事前回避はおこたったことはないが。
それでもなお、危険はいつも「すぐそこにある危機」なわけで。

むかし家庭内暴力で暴れていた男性は、赤信号で交差点に飛び込んできたトラックにむかって、「このやろーッ!」と、家族を乗せたままの自分の車を突進させて正面衝突させて、本人は全身打撲をおったという話を、本人の口から聞いたことがある。

これは極端というか病的な暴力脳の例で、この歳になると、畳の上でも、転んで骨折すれば、そのまま寝付いてしまう可能性は、ないわけではない。

今身近な老人たちとやっている歩き会で、この秋、80歳の新参の老人を、若者むけのハイキングに無責任に誘って怪我をさせた指導員が、私にニラマレているが。

その指導員は、前から同じコースで、同じような事故を誘発していて、反省力のなさは、ワタシだけでなく問題視しているが、そうした問題を、事前チェックできない烏合の衆の老人会の在り方も、問題になっている。
私が止めたにも関わらず、聞く耳を持たなかった80歳の新参老人の行動も、老人歩き会の組織的安全対策の問題なのだろう。

ハインリッヒの法則(Heinrich's law)は、労働災害における経験則の一つであるが。
1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもので。


*ここに書き込まれたコメントの中には、「小5にもなって、車の下にもぐりこむとは」とか、「親が悪い」とか、こざかしい浅薄な後知恵コメントをみかけるが。

こうゆう小賢しい短絡な「思考回路」は、自分が経験した「軽微な事故」からも何も学べない、ネトウヨなみの、上滑りした軽薄な思考回路なんだろうな。



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