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2018年12月04日20:42

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ドイツでグデーリアンとマンシュタインのお墓を訪問

ドイツを旅行した時に、グデーリアン上級大将とマンシュタイン元帥のお墓を訪問した時のことについて書きます。

2005年7月にハノーファーに住むドイツ人友達(30代の男)の家に滞在していた時に、近くのゴスラーにあるグデーリアンのお墓を訪れた。

グデーリアンとその家族が葬られているゴスラーという土地についてだけど、グデーリアンが少尉となって初めて任官した土地がゴスラーであり、妻と結婚した土地もゴスラーである。だから、ゴスラーにお墓を立てたのだろう。ドイツ軍の将軍、将校の場合は妻を大切にする人が多いので妻との記念地にお墓を立てるのは不思議ではない。さらに、ゴスラーは、旧東ドイツとの国境沿いにある町であり、戦後、東西に分断されてしまったドイツが再び統一されることを希望して、東ドイツとの国境沿いの町に眠ることを選んだのかもしれない。

僕はグデーリアン将軍の墓を見るためにゴスラーに電車で行った。ゴスラー駅から徒歩5分程のゴスラー市営墓地にあるということはネットで知っていたが、墓地に着いてみると墓地の面積はサッカーコート4面ほどという大きなものであり、そのお墓を一つ一つ見て探すというのはまず不可能と思った。

幸い日常会話ほどのドイツ語は話せたので、墓地の手入をしていた数人のおばさんたちに近づき、
「こんにちは。あの、グデーリアン将軍のお墓はどこでしょうか?」
と質問した。一人のおばさんが、
「この道をまっすぐ行って、それから左に曲がるとあるよ」
と教えてくれた。おばさんの教えてくれたとおりに進んで、10分ほど探すと、グデーリアン将軍とその家族のお墓を見つけることが出来た。その時の嬉しさは言葉では上手く表現できない。とにかく、
「ドイツ語を勉強しておいて本当によかった」
と思ったのは当然のこと。(笑)

写真の左はグデーリアン一家のお墓の全景。真ん中はハインツ・ヴィルヘルム・グデーリアンの部分をアップにしたもの。2005年7月末に現地で撮影した。グデーリアンの息子のハインツ・ギュンター・グデーリアンも軍人であり、ドイツ国防軍と戦後の西ドイツ連邦軍で父と同じように機甲部隊将校になり、父と同じように西ドイツ陸軍の装甲兵総監になっている。恥ずかしいことに、僕はこの事実をお墓を見るまで知らなかった。


次はマンシュタイン元帥のお墓を訪問した時の話。

ドイツのリューネブルガーハイデ(リューネブルク草原)のど真ん中にあるドルフマルクという小さな町の町営墓地にあるマンシュタイン家のお墓を訪れたのだが、これはかなり難しかった。

ムンスター戦車博物館があるムンスター市のホテルに泊まったのだが、ホテルの主人もムンスター戦車博物館の係員もマンシュタインのお墓を知らなかった。だから、とりあえずはホテルからタクシーでドルフマルクの町の中心部まで行ってもらった。

当然、マンシュタイン元帥のお墓というのはガイドブックにも載っておらず、ドルフマルクの町民に質問してもマンシュタインの名前すら知らない人ばかりだった。だから、
「恐らく、町営墓地にあるかもしれない」
という勘を頼りに町営墓地に行き、そこで一つ一つの墓石を見て探すというものすごく地道な作業をして、20分くらいで見つけた。町営墓地のお墓の数が、そんなに多くなかったのが幸いだった。

日本に帰って来てドイツ軍の戦記を執筆している方々のオフ会に参加をして、マンシュタイン元帥のお墓を訪れたことを知らせると、
「よく見つけたね。日本にマンシュタイン元帥のお墓が紹介されるのは、恐らく、これが初めてじゃないかな」
と参加者の方々に言われて褒められた。

写真右がマンシュタイン夫妻のお墓。2人のお墓の近くには1942年10月に戦死した息子のゲーロ・マンシュタイン中尉のお墓もあった。

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