mixiユーザー(id:13658569)

2018年12月01日18:47

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最高裁は大嘗祭を「宗教儀式」として明確に認めている事実からすれば・・

いやはや。こりゃ凄いことになりましたですなぁ。
先の天皇に拠る“生前退位”に端を発した、一連の系譜と観て妥当だろうねぇ。

この要因はなんたって、ざっくり言えば「日本会議界隈〜現政権」の属性に拠る
「天皇制や皇室の制御」に“悪質性”があった・・という以外にないことは
もう明らかで否定しようがないわけで・・。

それは言うまでもなく、その意思を汲む「現宮内庁長官」を送り込んだことにあり、
まさにそれへの反駁という形にどうあれなっているわけだから、これをもってして
「皇族に拠る反攻」という俗っぽい解釈で終えることが適当かどうかは、
相当に注意深く、また多方面から考察すべき内容ではないかと思う所。

この件について、「象徴天皇制」を研究する識者と、「憲法学」の視点に拠る
双方の見解がラジオで示されていたけれど。

https://www.tbsradio.jp/318792

両者は何れも法的見地に沿った考察と言えるが、各々で微妙に見解が分かれていて、
それは個々の立場・スタンスの異なりから来るものであることが伝わるものの、
何れにもそれぞれの整合性があり、一概に明確性を持った正当性にまでは
簡単に至らない印象でもある。

これは裏返せば、それだけ「センシティヴでデリケートな論理の上に置かれる皇室制度」
であることに否応なく包まれていて、逆に言えばだからこそ「揉める要因」でもある・・
という、言ってみりゃ「あらゆる矛盾性をずっと抱えたままの」現制度の有り様・・
ということを改めて強く示唆したもの・・と言える。

上の見解を聴く限り、憲法学の観点からすると木村教授が言うように、
政治的部分に抵触するようなこの度の発言は、憲法規定からすればあくまで
対象は「天皇」に限られているため、秋篠宮の立場からすれば「特段に問題がない」。
また、秋篠宮の発言には慎重性を前提にしたと推認出来る文言が、
文脈構成上にしっかり表されているので、そこを注意深く丁寧に拾い上げる必要がある。

したがって、秋篠宮の意向については極めて整合性のある発言であり、
制度上も法的見地からしても、あるいは戦後における皇室の歩み全般からしても、
寧ろ発言主旨は正当性を持ち、日本における現況の皇室が、国民社会の
象徴的な立ち位置にあることまで広く考えれば、実に聡明性を持つとさえ言える。

一方の河西准教授に拠る見解・・。
秋篠宮の意向や主旨はよく理解出来る・・としながらも、“実質上の影響”についてを
懸念するというもの。つまり、間もなく皇太子になるという現況の立場を考える時・・
即ちそれは次の天皇になる可能性を秘めた状態にある(近い立場)と考えた時、
今回のような発言が将来の制度運営上にあたり、政治場面において何らかの「忖度」を
生む恐れを孕む・・というものだ。

要は「当時秋篠宮のあのような発言からすれば、こういう意思を持ってるはずだろう
から、ではこういう制度や方向づけにした方がいい・・」といったような
“ブレ”を生じさせる要因を作った可能性も出て来る、という。
その意味でも、秋篠宮の発言は問題をも併せ持つというもの。

とすれば、確かにこの見解は一理も二理もあると言える。

但し。一見して整合性のあるこの見解は、同時に「天皇制の改変」を企む勢力に対して
どうであれ“追い風”をもたらす論理にもなり、戦後皇室の方向性を支持尊重するべくな
立場にとっては、寧ろ思わぬ「落とし穴」に嵌まり込むことすら大いにあり得る。

したがって、この議論に“戦略性”を持ち込むことになるのが是か非かに繋がるものの、
片や戦略性をもって現長官を送り込んだ政権らの野望に対し、論理的戦略性をもって
正当的に対峙することは、寧ろ必要なことでもあると言える。

その意味で河西准教授の見解や懸念は、「意図しない使われ方」に変質する恐れが
多分にあるため、今回の秋篠宮発言を肯定する人は、この一見して
「聡明性を持ちながら正しそうな主旨」は、自身の主張のための「道具」に
しない方がいいだろう。

一方で、木村教授が指摘する「最高裁判決は、大嘗祭そのものにおける違憲性の判断を
していない」という点をよく留めておく必要がある。
加えて、最高裁は直接的に大嘗祭を公的行事として違憲性にあるか否かの判断を
していない一方、「大嘗祭は宗教的なものである」と明言しながら、当時の裁判主旨
(出席県知事による公務における経費を公費と判断するか否か)について、
自治体公費と認められる・・としただけなのであり、前段で政教分離の原則について
既に大嘗祭は事実上宗教儀式と認めている・・ということを見逃してはならない。

にもかかわらず、「前例踏襲を原則する」とし、閣議で決定したのだから
公費支出の方針は変えない・・というのは明らかに「政府に拠る不作為」としか
言いようがない。

秋篠宮の胸中・・といった世俗的範疇に留まる話じゃなく、これは最高法規である
憲法の扱いや皇室典範にも及ぶ、実に重大な『事件』として考えねばならないだろう。

■秋篠宮さまの大嘗祭発言、戸惑う政府=憲法論争の再燃危惧
(時事通信社 - 12月01日 09:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5399846
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