「感謝を妨げるもの」
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小さな感謝が大きな幸せを与えてくれることがあります。
しかし、小さな不満や絶望が私たちの心の中に住み着いて不幸をもたらしていないでしょうか。
感謝を妨げるものが3つあります。
1、「欲望」
2、「比較」
3、「心配」
1、欲望
ある人がこんなジョークを言いました。
「人の欲望はあまりにも深いので、神様でさえそれを満たすことはできない。」
何かを望み、それを手に入れたかと思うと、次のものをほしくなります。さらに次のものをほしくなり、多くを望むのに満たされず、不幸になります。
欲望と感謝は共存できません。欲望は悪魔に属し、感謝は神に属するからです。
欲望は、神の恵みを受けている人でも、一瞬にして不幸のどん底に陥れる力を持っています。
つまり、ある程度の欲望は、人にやる気をもたらせますが、行き過ぎた欲望は不幸をもたらします。
私たちに必要なのは、満ち足りるすべを知ることです。
『満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。』(第一テモテ6:6〜8)
『私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。』(ピリピ4:12)
2、比較
比較は欲望の別の顔です。
相手と自分を比較し、優越感を持って高慢になり、劣等感を持って自己卑下します。
どちらに転んでも感謝できません。
比較すると、相手が、自分より多く持っていて、多くの愛や称賛を受け、高い才能や学歴を持っていると感じて、感謝は消えて、不幸な状態に落ちていきます。
悪魔は、比較によって私たちを妬みの奴隷にし、みじめな気持ちにさせます。
人生をみじめにするのは、貧しいからではない。失敗したからでもない。才能が少なく、学歴がないからではない。人と自分を比較するからです。
聖書は、『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』(イザヤ43:4)と語ります。
比較することをやめて、神があなたにどう思っておられるのかに思いを向けましょう。
3、心配
人が心配する内容の90%以上は、過ぎ去った過去や、まだ来ていない未来のことです。現在の心配は10%未満です。
聖書は、『あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』(マタイ6:34)と語ります。
未来のことを前もって心配することはやめましょう。
一人の女の子が、難関の進学校を受験しました。面接がうまくいかなかったので、家に帰るなり、「もうダメだわ。私の人生終わったも同然だわ!?」と、泣きながら両親に心配の気持ちをぶつけました。
数日後、結果が知らされました。合格することができました。
しかし、「優秀な人ばかりが入学することになった。勉強についていく自信がない。どうしよう・・・」と、次の心配をはじめました。
この女の子は、このままであれば、その後も、大学受験を心配し、大学に合格しても、就職ができるかどうかを心配し、職場になじめるかどうかを心配し、結婚できるかどうかを心配し、延々と心配し続けていくことになります。
聖書は、『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。』(ピリピ4:6)と語ります。
心配すると、心を委縮させてしまいます。感謝するなら、心が楽しさで溢れさせてくれます。
「感謝をもってささげる祈り」とは、過去に起こったすべてのできごとや、現在起こっているすべてのできごとのすべてが相働いて、未来に大きな益が与えられると信じて、先取りして感謝することです。
「今あるもので十分」と考え、他人と比較せず、心配を感謝に変えていきましょう。
突風が黒雲を吹き飛ばすように、感謝は「欲望」と「比較」と「心配」の黒雲を一気に吹き飛ばしてくれます。
感謝に溢れた一日を過ごせますように。
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