「キリスト教の極意は、死んで生きることにある」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/11/29(木)【1317】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19393 (写真入り記事)
宗教や自己啓発セミナーなどの多くは、今の自分の延長線上にある救いや成功を目指します。
それが、人間の罪の性質なのです。
人は、罪を犯した時点で罪人なのではなく、最初から罪人であり、罪人だから、罪を犯したくないと思いながらも罪を犯してしまうのです。
聖書が教える罪とは、原罪(英語: original sin)です。
アダムとエバが罪を犯し、神を捨てて悪魔に従いました。
それ以来、子々孫々、神との関係が壊れたまま誕生し、死んでいきました。
その大元の、神との関係が壊れた部分を修復しなければいけないのに、表面を修復し、繕うとしているのです。
「身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行なっているからだ。彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている。」(エレミヤ6:13〜14)
表面を修復し、繕うとしているのは、偽者のインチキな医者のようです。
「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている。」のです。
手軽な方法を教え込まれて、大丈夫じゃないのに「大丈夫だ、大丈夫だ」という言葉を信じるのではなく、私たちを造られた神の言葉を信じましょう。
「ボタンの掛け違い」をしたら、一旦すべてを外して、一からやり直すのが一番早く、確実です。
同じように、本当の救いと豊かさをいただきましょう。
「キリスト教の極意は、死んで生きることにある」のです。
しかし、手軽ないやしは、「生きよう」とがんばった結果、死んでしまうのです。そして、人をも殺してしまうのです。
死んでいく人に、いくら栄養剤を打っても、死んで行くように、生きようとがんばっても、それは、死期を少し遅めるくらいにしかなりません。
死の根本的な原因を知り、その新の根本的な解決をするため、2018年前のクリスマスにこの地上に来られ、十字架で死んで、葬られ、よみがえられたイエス様を受け入れましょう。
イエス様を信じたら、イエス様に起こった死と復活が、私たちにも起こるのです。
イエス様と共に、古い罪の性質に死んで、イエス様と共に、新しく生まれ変わることに、本当の救いと豊かさがあるのです。
しかし、クリスチャンの中には、イエス様を信じて、死んで新しく生まれ変わったはずなのに、古い生き方が懐かしくなり、再び、自分の肉の力によって生きていこうとする人がいます。
そう生きてもうまくいかないようにできています。
今日、クリスチャンの中で、なぜ私はこんなに苦しみ、こんなに葛藤し、こんなにもがかなければいけないのか、と考え、苦しんでいる人がいたら、もしかしたら、自分の肉の力で生きようとしているのかも知れません。
死んで生きていきましょう。死ぬとは、神にお任せすることです。そして、神に頼り、神に従い、神と共に生きていきましょう。
そうしたら生きます。解決します。悪魔から解放され聖霊に満たされます。自由になります。豊かな人生を生きていけます。
この後も、ステキ時間をお過ごし下さい。
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