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2018年11月29日00:16

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#アフガン日記 2001年11月29日木 <さて、何人が見ただろう>

宿J

「ジャララバードからカブールへの道を取材した伊藤和幸さんです」
さて、日本でこのナレーションに何人の人が反応したことだろう。
私とナベさんがジャララバードからカブールへ来たときの映像が((某局夜ニュース))で流れ、その後に東京のスタジオとの会話となった。

Q「盗賊街道」と言われる道を通った感想は?
A道の脇に見える人が皆ライフルかロケット砲を携えてるので警備してる民兵なのかゲリラなのか民間人なのかわからず緊張した、てなこと

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Q地元勢力は治安の維持に役立っているのでしょうか?
Aジャララバードからカブールへの道では特に止められることもなく平穏に走れましたしジャララバードも落ち着いた雰囲気だった、てなこと
Q襲撃されたという橋の様子は?
A撮影したいと思い、止めてくれとドライバーに言ったが拒否された、てなこと
Qボディに日本語の書いてある車が見受けられますが?
A私もこちらへ来てそれには驚きました。日本語が書いてあることがステータスらしいです。落ち着いたらどういう経路でアフガンに輸入されているか調べてみたい、てなこと((言ったきり。まだやってない))

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Q取材に入った時と今とで変わったこと、あるいは変わってないことは?
A最初は街中にあまり人がいなかったが徐々に物乞いや浮浪児が増えて来ているように見える、てなこと

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本当は3つの質問ということだったんだけど、答えをコンパクトにまとめすぎて申し訳なかった。
中継に立ち会っていた遠藤さん。中継終了後に
「浮浪児は使用禁止用語じゃなかったかな?」
あららら。
しかし、痛恨。実家に電話してVTR回すように言っておけばよかったなあ。
愛しのあの娘は見ていてくれただろうか?

今日は3チームに分離。取材2チームと中継対応の私と。
昼間の時間帯に岩田さんに電話してみると
「((夜ニュース))と契約のフリーということで((某局))の名を出しているというクレームがまた入った。こういうことが続くとチームの引き上げも考えざるを得ないと、プロデューサーに言われた」
おいおい、またかよ。
前に福岡氏と朱子がチャマン入りした時もそんな話があったじゃねえか。

「何時、どんな件で、どこからのクレームか確認してください。私たちは基本的に((某局))の名前を出してませんから。思い当たる事がないんですよ」
ボスが取材から戻り、プロデューサーと話してみるとどうやらそのチャマンの話がもう一巡りしているらしい。
昨日の「菊地さん」もチャマン方面で略奪にあった、らしい、という情報しかないし。
どうも情報が錯綜してるぞ。

中継を終えて、スピンザーホテルで打ち合せをして、22時に我々の宿の方に戻ったら既に入り口の鍵が閉っていた。締め出しを食ってしまった。
ノックして警備員を起こしてどうやら野宿をしなくてすんだが、夜が早すぎるぜ。

朝オレンジバナナリンゴ昼ラムプラウナン夜ラムプラウナン

・朝日新聞
カブール市民、ロシア軍に視線複雑 アフガン支援

【カブール29日=宇佐波雄策】北部同盟が制圧したアフガニスタンの首都カブールに、ロシア軍が派遣した部隊は「緊急援助」が名目だが、旧ソ連との「アフガン戦争」の記憶は今も濃く、ロシア軍を見つめる市民の思いは複雑だ。

 ロシア軍の「ロシア緊急援助隊(EMERCOM)」は400人。市中心部の、旧日本大使館など旧公館が集中する高級住宅地の一角に、毛布や食糧などの援助物資を山積みした軍用トラック約30台が円形に野営地を形作った。国連関係者によると、部隊はモスクワから派遣され、カブール市内に十分な倉庫もないのに大急ぎで援助物資を空路や陸路で大量輸送しているという。米英を意識し、存在感を示したいロシアの熱意がのぞく。

 アフガン戦争以来、12年ぶりにロシア兵を見るカブール市民らの胸中は複雑だ。同戦争中、肉親や一族36人をソ連軍に殺されたというロガール州出身のモハマド・アラムさん(42)は「ソ連軍の残虐さは一生忘れない。今回は人道援助のために来たというから受け入れるしかないが、複雑な気持ち」と語った。
 迷彩の防弾チョッキ姿で自動小銃を持つロシア兵に、見物に来た市民が投石する騒ぎもあった。



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