「プラス思考はごく自然な考え方」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19386 (写真入り記事)
プラス思考は、何にも代えられない素晴らしい習慣です。
「プラス思考の例」としてよく用いられるのは、好きな飲み物を半分飲み終わった時に、
(マイナス)「もう半分しかない」
(プラス)まだ半分もある」
と考えられます。
また、靴の会社が、発展途上国の奥地に二人の調査マンを派遣して報告させたら、
(マイナス)「現地人はみんな裸足です。靴が売れる可能性は全くありません」
(プラス)「現地人はみんな裸足です。靴が売れる可能性が無限にあります」
と語ることができます。
人生において、目の前にある扉が開くかどうかは、心の持ち方、物の考え方一つです。
落ち込んだ時、逆境に置かれた時、失敗した時などのマイナスの状況にあっても、考え方一つで希望が湧いてきます。
失恋して落ち込んだ女性に、「彼があなたから去っていったことは確かに悪いニュースですが、良いニュースは、この世の中には、あなたにふさわしい素敵な男性が星の数ほどいることです。」と話してあげることができます。
夫からのDVで苦しめられた挙句に、離婚を迫れている女性に対して、「子供が1人いて、さらにおなかの中に赤ちゃんがいるのに大変だと思います。しかし、あなたはDVから解放されて、今日から自由です。」とアドバイスをしたことがあります。
その女性は、その言葉に慰められただけではなく、その後復縁して、現在は幸せな家庭を築いています。
プラス思考の力は、一人の人の人生を変えることさえあります。
プラス思考において大切なことは・・・、
1、まず、無理にこじつけたようにプラスに考えるのではなく、「現状をあるがままで受け入れる」ことです。
アメリカの神学者の「ラインホルド・ニーバー」は、次のような祈りを神に捧げました。
「神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ」
(英語版の原文)
「O GOD, GIVE US
SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,
COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,
AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM
THE OTHER」
プラス思考の土台は、「変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さ」つまり、「現状をあるがままで受け入れる」心のゆとりです。この心を神に、「与えて下さい」と祈ることからはじまります。
2、次に、あるがままの現状に対して、マイナスとか、プラスという判断を下さないで、神に委ねることです。
『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ8:28)
神は、「すべてのことを働かせて益としてくださる」お方です。
私たちの目にはマイナスに映ったとしても、神は、マイナスをプラスに変えて下さいます。
神が「すべてのことを働かせて益としてくださる」プラスは、私たちの目にも、マイナスがプラスに変わったと必ずわかる形で変えて下さる「プラス」です。
神に信頼し、神にお任せしましょう。
3、最後に、「十字架」は「プラスの形」をしていますが、十字架こそ、マイナスをプラスに変える最強の力です。
どう見てもマイナスとしか言いようがない状況もあります。
無理にプラスに考えようとしても、とても難しいですし、神が万事を益と変えて下さったことが自覚できるのにも、しばらく時間がかかりそうな時にこそ有効な方法があります。
マイナスの状況の中に、イエス・キリストが十字架にかけられた木を投げ入れ、イエス・キリストをそのただ中にお迎えすることです。
次のような実話があります。
『モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。モーセは【主】に叫んだ。すると、【主】は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。』(出エジプト15:22〜25)
イスラエルの民は、荒野で三日間も水が見つからなくて瀕死の状況に追い込まれていました。しかし、やっと見つかった水は苦くて、とても飲めるようなものではありませんでした。
民は、導いているモーセにつぶやきました。モーセは神に祈りました。そうしたら、「一本の木」が示されました。モーセは、苦くて飲めない水の中に、「その一本の木」を投げ込みました。すると、その苦い水は、甘くておいしい水に変わりました。
この「一本の木」とは、将来、イエス・キリストが十字架にかけられて処刑される十字架の木です。
祈りによって、あなたのマイナスの状況の中に、イエス・キリストの十字架の木を握りしめて、投げ込んで下さい。マイナスはプラスに変えられるはずです。
今、この時代のマラはどこにあるでしょう?
それは、私たちの心の中から流れてくる感情であり、霊です。
心が傷つき、否定的になり、失望し、絶望するならば、心が苦くなり、苦い感情と、苦い霊が流れ出ます。
しかし、その苦い心に十字架を投げ込むならば、心はいやされ、その苦さは甘く変わり、甘い肯定的な感情と霊が流れるようになります。
聖書は語ります。『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』(ヘブル13:8)
祈るならば、時間を超え、空間を超えて、イエス・キリストがかけられた十字架が、あなたの手に握られ、あなたの苦しみと絶望の暗闇の中に投げ込むことができるのです。
十字架は、その苦しみをいやし、マイナスをプラスに変え、絶望に光をもたらして、大逆転の祝福に変えてしまいます。
私は、クリスチャンになり、牧師になってから、この十字架による軌跡を何度も体験してきました。
プラス思考は、人間の業ではなく、神が与えて下さるごく自然な考え方です。
神が共におられるならば、プラスはプラスなので感謝できるし、マイナスもプラスに変わるので感謝できます。
すべてのことを感謝し、神にあるプラス思考で生きてまいりましょう。
今日も、素敵な一日でありますように。
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