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2018年11月25日00:37

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#アフガン日記 2001年11月25日日 <並木みち子がよく似合う>

宿S

♪赤いリンゴに唇寄せて
当然の事ながら焼け跡闇市等知らない世代だけど話しに聞く終戦直後の日本ってこんな感じだったんだろうね。

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6カ月のマルチビザを270ドルで取得して(1時間45分だからお役所仕事にしちゃぁいい方だろう。しかし、いい収入になるなあ、お役人)その後、ボスが去年取材した病院に行って先行取材をし、食料配給の取材をしてユニセフに行った。

その後バザールを歩いてみた。
靴屋、ほうき屋、石鹸屋、ペン屋、リンゴ屋、鶏肉屋、牛肉屋、ニンジン屋、ザクロ屋、鍋屋、食器屋、帽子屋、靴磨きの子供や物乞いの戦争未亡人も大勢いたし。
探せば裏の裏の方で赤線もあるとは思うんだがなあ。

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ところで、この国では物乞い「バクシーシ」は恥じるべきものではなく、持つ者が持たざる者に喜捨することはイスラムの信仰に沿ったことであるという。

さて、バザールで特に人だかりがしていたのがカセットテープ屋とポスター屋。音楽が聞けなかったんだねぇ、腕も露な女性が見られなかったんだねぇ。
で、そのバザールを歩きながらふと口ずさんでみたのが「リンゴの唄」
これがまた合うんだわ。

さて、それから両替をしてショッピング。きょうのレートは1$=34100アフガニー。
食料品を買ったり、電熱器買ったりしているうちに、お釣りでもらったアフガニーが98万!なんて大量な釣りなんだ。
ドル建てレートが、カブール市場ではアフガニー安傾向なので、パキスタンでドルなり円は、パキスタンルピーに替えてから入国した方が率はいいと思われます。

しかし、この街にも電気屋街があるんだねえ。なんだか今はアンテナ屋とラジオ屋が大盛況。
車も大渋滞、こんなに車があるとは思わなかった。

基本的には乗用車もしくはバンを黄色く縫ったタクシーがメイン。基本的には、と書いたが、トラック、バスと、ランクルを除けばそれ以外、つまり乗用車みたいな物は走ってない。前にも書いたとおり脇腹に日本文字かそれに似せようとした文字らしき物が黒々と書いてある。
カローラが大多数、ちょっとカリーナがあって、あとは名も知らぬロシアの車たち(知らぬって、聞いたけど土地の人達も知らねえんだもんよ)これが市内交通の主力となっている。

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あとは馬車と手押し車。バザールには露店が多いから手押し車は大活躍している。
だから渋滞を引き起こしているとも言えるけど。

配給所に取材に行ってみると、小麦と大豆と食用油を配っていた。
「アザラ!アザラ!」
何よ、人の顔見て?
つまり私の顔はアザラ人(ハザラ人)に似てるって事?
アザラ人てパシュトゥンやウズベクにいぢめられてる民族じゃないのよ。そうかいアフガンに来てもオイラはそういう境遇かい。

4時に再度ユニセフ訪問。11月5日に会った((N女史))と再会。
すでに17日にこっちに来ていたという。17日と言えば福岡氏と朱子がクエッタに向けて出発して、我々はビザが云々していた頃ではないか!
うまく立ち回れば、ユニセフと一緒に来られたんじゃないかなあ。
彼らのビザってどうなっているんだろう?
それはともかく、例のポリオ接種が遅れていて、昨日、今日、そして明日が施行日だとの事。これはラッキー。
こいつで一本作れるぜ。
飯はスピンザーの方がインターコンチより美味いぞ、どーいうことだ!!

朝リンゴバナナ昼インスタントラーメン夜スピンザーライスチキンナン

・朝日新聞
タリバーン、クンドゥズ投降 北部最後の拠点失う アフガン

【イスラマバード25日=宇佐波雄策】アフガニスタンからの報道によれば、アフガン北部の要衝クンドゥズで過去2週間以上、米軍の激しい空爆を受け、北部同盟軍に包囲されていたタリバーン軍が25日総崩れとなって投降し、クンドゥズ市はほぼ制圧された。タリバーンは北部で唯一の拠点を失うことになり、南部の本丸カンダハル州やウルズガン州など周辺州を支配するだけとなった。タリバーン支配地は空爆前は全土の9割だったが、これで3割以下になった。タリバーン誕生間もない95年ごろに近い。


投降は20日過ぎから少人数ずつ始まり、24日には外国人部隊約600人を含めた約1300人が投降した。同日夜になって投降の動きは、さらに加速し、25日朝までに多数のタリバーン兵士らがトラックに機関銃やロケット砲などを積んだまま投降してきた。投降兵の大半がアフガン人のタリバーンで、投降兵と北部同盟の兵士が抱擁を交わすなど、敵味方の憎悪を超えて、投降した勇気をたたえる場面もあちこちで見られた。

 一方で、武装解除の際に身に隠し持っていた手投げ弾を爆発させて自殺する兵士もいた。巻き添えで他の兵士や北部同盟兵士らが死傷した。
 投降兵の総数は数千人と見られるが、北部同盟はタリバーンの総数を1万数千人、うち少なくとも3千人が外国人部隊と見積もっていた。北部同盟は、アフガン人タリバーンの場合は、武装解除後、安全に郷里に帰還できることを保証している。
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