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2018年11月23日00:26

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DNAの声を聴け 生老病死の捉え方第11回

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 ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。
 世界中のすべての方が幸せにありますように!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆
2018年 平成30年 
11・22(木)


   DNAの声を聴け!
   生老病死の捉え方 第11回

   親鸞聖人の他力の教えの全体構造1
    
   
 姫野です。
 今日京都は雨のちくもりの一日でした。
  
 ど〜も、いかがお過ごしでしょうか。
 いや〜、僕はアホなのに見栄を張って
 風邪をひいてしまいました。
 (やや、自虐ネタからスタートです)

 「明日会社に行けるだろうか」
 とやや心配しながらこれを書いています。

 僕は今醍醐小栗栖のUR団地に住んでいます。
 古いURの団地ですので、建物の間隔が広く
 ゆったりとして庭に緑もたくさんあります。

 それがとても気に入って、ここにしました。
 
 うちの3Fのベランダから見える庭が、今一面
 紅葉が落ちて、見事な赤いじゅうたんの
 ようになっています。とてもきれいで毎日
 見とれています。

  過ぎ去りし 盛りの夏を 想ひ出に

   色あでやかな  もみじ葉の恋

              修一郎
 

 さて 
 題して DNAの声を聴け!第11回
 生老病死の捉え方です。

 今日は日本で生まれた浄土教・浄土真宗の
 絶対他力の捉え方です。

 親鸞聖人の絶対他力の教えの全体構造を
 ご存知ない方も多いと思いますので
 「ざっくりと語ってくれよう!」と
 大胆に簡略化してお話します。

 親鸞聖人は法然上人と丁度40歳違いの
 弟子です。自分は浄土真宗という
 法然上人とは別の教えを説くという意図は
 ありませんでした。

 ひとえに法然上人を信じ、敬愛し、その説かれた
 他力の教えで苦しむ民衆を救いたかったのです。
 
 しかし前回申しましたが、他力の教え、
 「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われる。

 などということは、歴史的な事実としては
 お釈迦さまは、おっしゃってはいません。

 そこで、どこから出てきたのか
 まず法然上人の教えをみてみましょう。

 <法然上人の教え>

 法然上人は今の岡山に産まれます。(1133-1212)
 9歳で母方の叔父の僧のお寺に入ります。
 その才能に着目した叔父は、比叡山に法然を推薦します。
 比叡山でもその才能を高く評価されます。

 しかし、何年学んでも、これで民衆を救えると
 確信できる教えに出合いません。

 浄土教は中国で古く道綽・善導が伝えてました。
 その善導の「観無量寿経疏」(かんむりょうじゅきょうしょ)
 (無量寿経の注釈書)をよみ、「これだ!」と確信して
 比叡山を下り、民衆でもわかる、やさしい教え「浄土宗」
 を説き始めます。

 <他力の教えの概要>

 無量寿経に書かれている物語です。
 法蔵菩薩が民衆を救いたいという48の誓願を立て
 気の遠くなるような長い時間の修行の末
 阿弥陀如来となられました。

 阿弥陀如来は、どんな人間でも私を信じて
 「南無阿弥陀仏」と唱えさえずれば
 必ず救って下さる。浄土に迎え、救い取って
 仏の修行を完成させて下さるという仏です。
 
 <法然の従来の仏教への疑問点・問題点>

 普通の人間は、煩悩を捨てきれない、煩悩を
 抱えて生きざるを得ない。煩悩を抱えたままの
 人間を救う教えがあるはずだ。

  それは、幼少より一心に修行しても、なお煩悩を
 離れて、「さっとた」とは思えない法然上人自身の
 苦しみがありました。
 
  そこに、難しい修業や学問は必要ない、ただ
 「阿弥陀仏の大悲」を信じて「南阿弥陀仏」と
 唱えれば悪人でも救われる。
  という教えが法然上人の心を捉えたわけです。

 法然上人と全く同じ悩みと苦しみを感じていた
 親鸞聖人も、法然上人を信じて弟子となりました。
 

 <浄土宗の布教の禁止・流罪>

 この浄土宗の教えは、都で評判となり、民衆が
 押し寄せました。
 もちろん、それは南都六宗・天台・真言にとっても
 面白くありません。
  そして、宮中の女官が、後醍醐天皇の旅行中
 許可も得ずに、浄土教の尼僧になりました。
 
 これが、後醍醐天皇の怒りを買います。そして
 南都六宗・真言・天台の抗議を入れて
 「浄土宗の布教の禁止」を命令します。

 「従来の仏教の正しい教えを破壊する教えである」

 僧4名が死罪、7名が流罪になります。
 法然は讃岐に、親鸞は越後に僧籍をはく奪され
 流罪になりました。
 
 <親鸞聖人のその後>

 親鸞聖人(1173-1262)は越後から、配流から許された後
 関東茨木高田を中心に布教をします。
 そして、62歳ごろ京都へ戻り、「教行信証」を完成させ
 89歳で亡くなられます。

 僕は、親鸞聖人は浄土宗は正当な仏教ではない。
 という批判が悔しく、何としても法然上人の教えは
 仏教の教えに反しない。ということをきちんと反論
 したくて、教行信証を書かれたと思っています。

 法然上人は書物を残されませんでした。
 ですから、他力の教えを知るには
 親鸞聖人の教えが手掛かりになります。
 
 ここまでの前提を押さえ、次回は
 親鸞聖人の他力の教えの全体講像を
 もう少し具体的にお話ししましょう。

 阿弥陀如来の大悲は
 いつもあなたに届いている

 案ずるな、必ず救うてやる!
 
 どうでしょう、
 あなたはそう信じられるでしょうか
 
   
 つづく…

 ではでは
 愛を込めて!

 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro)
 ana38655@nifty.com


 今日も笑顔でニコッとね。

 何であれ、そこに愛が流れてこそ
 はじめてこころから楽しくなります。
 
 幸せはごく自然な
 あなたの命の本来の属性です。

 
 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」
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 生涯かかっても実現できないような
 大きな夢を持ちなさい

 案ずるな、必ず救うてやる!
 いつも響く仏の声です。


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