「中1男女殺害事件」の「延長」になってしまうけれど「極刑=(イコール)解決」ではない。
かつての「地下鉄サリン事件」の遺族の言葉で「被告が死刑が確定し、それが実行されたとしてもそれは私たちにとっては通過点にしか過ぎない」という言葉が忘れられない。
そして別の殺人事件で現場に花を手向けながら涙ながらに「被告が死刑になっても、おまえが帰って来るわけではないんだよね・・・」と語る被害者の母の姿が思い浮かぶ。
私の家族が殺されたら?と考えると、その殺害者を自分の手で殺してやりたくなるのが「人情」および「感情」なのかもしれない。
でも「死刑」は遺された者にとっては「通過点」に過ぎずなにも「残すもの」はない。
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