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2018年11月11日23:07

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東京男声合唱フェスティバル2018

歌う魂の世代交代。

☆東京男声合唱フェスティバル:会津高校OB合唱団出演
■2018年11月10日(土)10:00〜20:36
会津高校OB合唱団の演奏は19:59 〜20:14
■浜離宮朝日ホール 音楽ホール
■会津高校OB合唱団の曲目
♪会津高校校歌
♪シューベルト 湖上の精霊の歌D714(弦付きヴァージョン)
■演奏:会津高校OB合唱団(36名)
■指揮:佐藤 雄一
■伴奏
ヴィオラ:大越夏子・吉川舞
チェロ:水野由美子・田中愛里
コントラバス:越啓之

2年ぶりに東京男声合唱フェスティバルに足を運んだ。
3度の休憩を挟みつつ、全59団体と、招待団体、公募合唱団が歌った。
一日がかりの大イベントである。

私は、前半16番から18番まで聴き、途中抜けて国立新美術館で「ボナール展」を見た。
前半そこだけ聴いたのは、18番の合唱団で以前歌ったことがあったからだ。

後半は44番から59番まで通して聴き、招待団体である会津高校OB合唱団を聴いてから帰った。
全部で35団体を聴いたことになる。
この感想は、会津高校OB合唱団を中心に、他の34団体を聴いての感想を記録するものだ。

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私は佐藤雄一氏を世界最高の指揮者とも思い、10年に渡って追っかけ続けている。
その佐藤氏が、なぜ会津高校OB合唱団を振るのかというと、佐藤氏の音楽家としてのスタートが会津高校合唱部だからである。
佐藤氏は会津高校の生徒時代、合唱コンクールの全国大会で金賞を受賞している。

そのときの伝説の名演。昭和54年 会津高校 湯山昭作曲「ゆうやけの歌」
本番を振られたのは当時の指導者の先生だが、この演奏には学生指揮者だった佐藤氏の個性が既に刻印されているように聴こえる。

そして、平成27年9月23日には、当時の顧問の先生、大成した弟子たち、OBたちが集まって再び歌うという、「ゆうやけの歌」フェスティバルが会津若松で開催された。
その時の日記。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946810124&owner_id=26363018
実はこのとき、会津大学OB合唱団は佐藤氏の指揮で、今回歌った「水上の精霊の歌」をアカペラ版で歌っていたのだ。
一度聴いただけだったので、私の記憶から抜けていた。
今回の東京男声合唱フェスティバルは、いわば再演である。

では、今回の演奏の感想を書こう。

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フォト
私が聴いた場所は通路後ろのど真ん中。特等席で聴いた。

写真のピアノが脇にどかされ、弦楽器用のイス類が用意されると、団員が入場した。
弦楽器奏者が入場する前に、団内指揮者の指揮で、会津高校校歌が歌われた。
これぞ、グリークラブという力強い合唱。
しかし、3年前に会津若松で聴いたときと比べて、僅かに声の衰えが感じられた。

続いて、弦楽器奏者が登場。
右からチェロ、チェロ、コントラバス、ヴィオラ、ヴィオラの順に横一列に並ぶ。
大変独特な編成だ。
おそらく、「水上の精霊の歌」はもともとアカペラの男声合唱曲として書かれたのだろうが、転調を繰り返す和声が合唱団には難し過ぎたために、伴奏付きヴァージョンが作られたと推測される。
チューニングに続いて佐藤氏が登場。
厳かな11分44秒が始まった。

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Gesang der Geister über den Wassern
第一連
Des Menschen Seele人間の魂は
Gleicht dem Wasser: 水に似ている――
Vom Himmel kommt es, 天より来
Zum Himmel steigt es, 天に登り
Und wieder niederまた下っては
Zur Erde muß es, 地に帰る
Ewig wechselnd. 永遠に変転しながら

弦楽器の前奏から始まる。
今回佐藤氏が頼んだ奏者達は実に頼もしい人たちだった。
佐藤氏の意図をよく理解し、絶妙なテンポと間の取り方で演奏をしっかり支えていた。

人間の魂とは…と問いかける歌詞を、シューベルトは神秘的で厳かな旋律で歌っていく。
会津高校OB合唱団の、深い情感を湛えた歌が実に素晴らしい。
歌は歌詞の一、二行を数回繰り返しながらゆっくり進行する。
第一連は1,2行が一つのまとまりで、3,4行で天に登り、5,6行で地に帰るという一つのまとまり。
7行目の万感込めた繰り返しでこの連を閉めるという構成。
その音楽的構成が実によく伝わる演奏。
Ewigのイーという音で素人の耳にも分かる発声上の綻びが出る。惜しい。

第二連
Strömt von der hohen, そそり立つ岩壁から
Steilen Felswandほとばしっては
Der reine Strahl, 清冽(せいれつ)な滝となって
Dann stäubt er lieblich美しく
In Wolkenwellen雲としぶき
Zum glatten Fels, 滑らかな岩上に降り
Und leicht empfangen軽やかに受けとめられては
Wallt er verschleiernd, 薄紗(うすぎぬ)をひるがえしつつ
Leisrauschend水音もひそかに
Zur Tiefe nieder. 谷深く落ちていく

佐藤氏の指揮は、連の間に絶妙な間を取って、音楽の流れを極めて自然なものとしていた。
ここをいきなり厳しい表現にする演奏もあるが、佐藤氏は厳かな中にも優しさが感じられる歌わせ方で、まさに大自然の山奥で川が誕生し、成長していく雰囲気を出していた。
音楽から物語を想像力豊かに紡いでいく佐藤氏の面目躍如である。
高音部の旋律と低音部の旋律の掛け合いも絶妙であった。

第三連
Ragen Klippen岩々に
Dem Sturz entgegen, 堰(せ)かれては
Schäumt er unmutig憤然と泡立ちつつ
Stufenweise 段 また段と
Zum Abgrund. 流下(りゅうか)する

成長した川は激流となって下っていく。
全曲でも一番激しい部分であり、転調、和声の複雑さは極めて難易度が高い。
ここがあまりに演奏困難なのでシューベルトは伴奏を付けたのかもしれない。
2015年に聴いたときは、音程が怪しかったような気もするが、今回はこの難所を見事な演奏で力強く歌い切った。
佐藤氏が合唱団を厳しく鍛え上げたのであろう。

第四連
Im flachen Bette草原に流れ入っては
Schleicht er das Wiesental hin, 平らかなる河床(かしょう)を
Und in dem glatten See音もなくうねりゆき
Weiden ihr Antlitz鏡なす湖面となっては
Alle Gestirne. 月星の影を映す

曲想は緩やかに優しく変化し、平野部の美しい自然の中を流れていく川の様子となる。
全曲でももっとも美しい部分であろう。
ここでも高音部と低音部の音楽的対話を聴かせる佐藤氏の音楽作りが光る。
そのやりとりを聴かせることで、他の演奏よりも音楽が格段に伝わりやすくなっていた。
ただ、ここまでくると合唱団の方にやや疲れが出てきた。

第五連
Wind ist der Welle風は波の
Lieblicher Buhler; やさしい恋びと
Wind mischt vom Grund aus風はまた泡立つ巨濤(きょとう)を
Schäumende Wogen. その底より沸き返らせる

「風」が第二の登場人物として表れ、青春の快活さを感じさせる明るい部分となる。
ただ、この部分は全曲の中では短いのがちょっと惜しい感じだ。
佐藤氏は無理にここを速めず、音楽の対話を通して、優しさと湧き上がる力とを描き出していた。

第六連
Seele des Menschen, 人間の魂
Wie gleichst du dem Wasser! それはまこと水に似ている!
Schicksal des Menschen, 人間の運命(さだめ)
Wie gleichst du dem Wind! それはまこと風に似ている!

第一連の内容と雰囲気が戻ってきて終結部となる。
水はともかく、人間の運命が風に似ているというのは、詩全体の中で取って付けたような感じがしないでもないが、シューベルトは実に素晴らしい音楽を書いている。
音楽的にも第一連の再現部だが、複数の歌詞を同時に歌わせて膨らませて、ゲーテの歌詞が幾重にもこだましつつ人間の魂や運命について考えさせるような奥行きのある音楽としている。
合唱団が疲れてしまって表現の密度がやや下がってしまったのは惜しまれたが、佐藤氏の指揮は大きな感動の盛り上がりを作り出し、シューベルトの音楽を最大限に生かすものだった。

演奏終了後、実に14秒もの沈黙があってから、拍手が沸き起こった。
その沈黙には様々な意味が含まれているように思われた。

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今回、佐藤氏と会津高校OB合唱団が「湖上の精霊の歌」を取り上げたのは、芸術的意義が非常に大きい試みだった。
かつて超高校級の技術と鉄壁の団結を誇った合唱団も、寄る年波には勝てず技術に綻びが現れていた。
折角の招待団体としての演奏に、もっと簡単で効果的な曲を選ぶ選択もあった筈だが、佐藤氏はそれをしなかった。
芸術性が高く、滅多に演奏されないこの曲に惚れ込み、たとえ演奏困難でも、この曲を人々に届けようと考えたに違いない。

果たして、佐藤氏の願いは聴衆に届いただろうか?
招待演奏の時、私の左右には演奏を終えて客席に戻った青年たちがいた。
私の左隣の青年は、緩やかな音楽に誘われて演奏中に居眠りをしてしまい、右隣の青年はプログラムのページを無意味にめくっていた。
彼らは、この曲に近付くのに若過ぎたのだろうか?
そんな筈はない。
「湖上の精霊の歌」を書いた時、シューベルトはおそらく20代だった。
ただ、ちょっとばかり彼らには曲が難しかっただけだ。

今回の男フェスで印象に残ったのは、若手の団体の台頭だった。
私が聴いた範囲でも、7〜8団体、若くて意欲に富んだ団体があった。
多くの団体に女性が1〜2名加わっていたのも意識の変化を感じたが、彼らは非常に高い本気度で、クオリティ高く演奏を仕上げてきていた。
2年前に男フェスを聴いた時は、聞いた端から右から左に忘れてしまうような演奏が多かったのに、今回は多くの団体が好印象を残した。

高齢化した団体は次第に男フェスを去りつつあるが、歌う魂は若い団体に引き継がれていく。
佐藤氏と会津高校OB合唱団は、彼らに種を蒔いたのだ。
誰かの心に届いた種はいつの日か芽を出し、「湖上の精霊の歌」を歌い継いでいくことだろう。
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