「紫陽花革命」とかいってた人々は「革命」についてその後しっかり考えたのだろうか。
ってことで、ちょっと私も振り返ってみようと思いました。・・(未整理)
RTメモ帳の整理(のようなもの)。2012年の夏のやつ。>この主催者たちは何をしたかったのだろう。ちょっと前まで「紫陽花革命」とかいってた人々は「革命」についてその後しっかり考えたのだろうか。◆薔薇、または陽だまりの猫 - 7.29国会包囲デモツイートの恣意的収集
08:05 詳細
コメント
篠栗大仏
https://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/4c0fbcfb2f4a1e2daa2466510d202056
11月5日 08:05 削除
篠栗大仏
↑このリンクが国会包囲網デモtweetの・・の記事。
11月5日 08:05 削除
篠栗大仏
https://twitter.com/ShoichiAshihara/status/1058997243208884224 これが芦原さんのtweet。
11月5日 08:06 削除
篠栗大仏
私もこの時行ったような気がするけど、なんか時間になったら主催者がどうのって言うより疲れて帰っちゃって情けなかった。(;´д`)トホホ。
11月5日 08:06 削除
篠栗大仏
2012年は誰もいない日にもよく東電前とか歩いたよ。逆に主催者みたいなのがいないと集まれないって言うところでもう限界を感じていました。
・・
様々な革命言われたところの後の様子を考えると結構きな臭いので、人々が集まって歴史が動いた!みたいなのは絵ヅラとしてはいいんだけど、もっと根深いナニカがあるんじゃないかって考えるようになったんですよね。
まぁ、あの種類の団体もいろんな人がいて、お金の流れとか、思惑とか、ボラの人も多いし、考え方は一つではないわけですけど。
ボラの人は結局でも、物凄い決定権みたいなのは無いですし、あそこでは。
ナニカを決めてる人は何を元に動いてるのかな?って感じ。
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