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2018年10月26日22:21

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間宮丸と時計屋

 滋賀県の長浜に行ったとき、商店街の古い時計屋のショー・ウィンドウにセイコー5が置いてあるのに気がついた。1963年から製造されているこの腕時計は、半世紀近く経つ今も現役である。電池時計ばかりのこの時代なのに、自動巻なので、電池の入手しにくい国に多く輸出されているからである。ただし、生産は中国である。
 そして、十数年来、私はこの時計を愛用してきた。曜日がスペイン語で出るからである。他にも、アラビア語ヴァージョンもあるそうだが、ペルー人に見せると喜んでくれる(ポルトガル語の曜日はスペイン語と全然違うので、ブラジル人には見せない)。しかし、それだけ使うとさすがに動かなくなる。分解掃除をすればいいのだが、やってくれるような時計屋は、もうほとんどない。
 もちろん、メーカーに送ってという方法なら直るだろう。しかし、それには日数がかかる。その間、携帯電話の時計に頼るというのは、私のような旧式な人間には、どうも似合わない。だから、時々、停まっているが、それもまたいいかと思って使っていた。
 それでも、さすがに不便なので、時折、捜してはいた。しかし、見つからない。もちろん、通信販売ならいくらでも買えるが、こういう古風なものは、時代遅れの店で買いたいものだと思っていたからである。
 そして、まさしく、私の望んでいたロケーションそのままの店に、望んでいたものがあったのである。しかも、聞いてみると、スペイン語ヴァージョンがあるという。ただ、以前に量販店で買ったときには5000円だったが、その2倍以上の金額だった。普段なら、そこで交渉を始めるのだが、即決で買った。店を守り続けてきた老夫婦に、ちょっと言いにくかったからである。
 時計のバンドの調整をしてもらっている間、話をしていたら、戦時中に樺太にいたと仰る。真岡ですかと聞くと、よく知っているねと言って、船に乗っていたと仰る。何という船ですかと聞くと、間宮丸と仰るので、稚泊航路ですかと言ったら、おまえは何者だと言わんばかりに驚愕された。
 樺太から避難民を満載して航海している最中に潜望鏡を見たと仰るから甲板員でもされていたのかもしれない。その後、朝鮮半島からの復員輸送にも従事されたらしい。
 その後、船を下りて時計屋に丁稚に行ったそうだ。時計屋なら、売るだけでなく、修理でも稼げると船の人に言われたからだそうだ。誰かのブログを見ると、15歳で京都の時計屋に奉公に出たと書いてあるから、苦労だっただろうと思う。
 今度、長浜に行くときには、間宮丸の写真でも持って行こうと思う。もちろん、古い時計の修理代を安くしてもらうためである!
 写真は横向きになると思うが、時計屋の店先セイコー5。
 
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