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2018年10月16日12:37

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羽仁五郎bot へのTwitter_モラル、道徳、自由

https://twitter.com/gorohani/status/1051750377538777088

羽仁五郎bot
‏ @gorohani

<blockquote><strong>モラルや道徳の問題で一番重要なのは、自由ということだ。自由は最高の規律である。言いかえれば自分の意志で決定することが、人間の最高のモラルなのだ。誰かに言われてやるのでは本物でないし長続きもしない。自由は規律を伴わなければならないという考えは、つまり自由に対する確信がないのである。</strong></blockquote>
17:23 - 2018年10月15日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @gorohaniさん

<blockquote><strong>「自由」を道徳という社会規範でとらえるだけでは「自由」の持つ実力を解放できない。「自由」という道徳には、道徳が持つ「縛り」のイメージがこびりついているからだ。日本国人民の脳みそにおいて、自由というものに無制限な自由は許されないとか、制限付き自由を要求する屁理屈がそこに芽を吹く。</strong></blockquote>
11:06 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>即ち羽仁五郎は反語的に上記羽仁五郎BOTの言葉を吐いていることを看破しなければいけない。羽仁五郎は即ち「自由は道徳ではない」といっているのだ。自由は日本人がこれまで道徳だと思っていたような枠内の概念ではなくそれを飛び出したものだといっているのだ。メタ道徳とでもいう言葉あればそれだ。</strong></blockquote>
11:10 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>メタ道徳とでもいう言葉があるか?ある。自然権だ。</strong></blockquote>
11:10 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>羽仁五郎は、事実の法という視点で呼んでいるものだ。</strong></blockquote>
11:11 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>しかし事実から価値は論理的推論で演繹できないのだ。そこを自覚しなければ逆に国民はファシズムに事実から価値を演繹する手法で頭を混乱させられる。羽仁五郎のような事実から価値を演繹する方法は戦後なぜナチスを防げなかったのかという研究の一環としてナチスから国外に逃れた学者をして研究が進み</strong></blockquote>
11:14 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>20世紀初頭に吹き荒れた自然主義ファラシー(自然主義の誤謬)を糾弾するながれとして継続してクローズアップされた。</strong></blockquote>
11:17 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>事実からいかなる価値も論理的推論で演繹できない。価値から事実も論理的推論で演繹できない。これは、天孫降臨族の天皇が国家を作ったとかいう神話を事実として強引に初めに置き、そこから一元的に価値を導出してきた天皇主権など木っ端みじんに吹き飛ばす。</strong></blockquote>
11:20 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>逆に「平和を守る為」(価値)に「戦争すべき」(価値)などという、価値から、価値を導出することは無限にどうにでも演繹できるのだ。われわれの脳みそは、99.99%の国民が情緒的価値判断から情緒的価値判断を演繹し、さもそれが絶対的真理と確信させられて熱狂する。そこをファシズムが利用する。</strong></blockquote>
11:24 - 2018年10月16日



アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>逆に、事実から事実を演繹することができる。すなわち、社会科学的な事実から、ここを蹴飛ばせば、あそこが飛び出るという事実の連関は演繹できる。それが羽仁五郎のいう「論理」だ。「理論」は机上で発見した「論理」候補。それを社会的に歴史的に実証されたら「論理」。羽仁五郎の定義の論理だ。</strong></blockquote>
11:27 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>この自由をモラルの範疇で論ずることは、価値の世界で自由を捉えるだけで終わる。どうにでもいえるのだ。価値二元論の立場で物申すなら、自由という価値を、事実の世界に格上げする必要があるのだ。そうしなければ、社会科学を構築する、事実の連関を構築するレンガにならない。</strong></blockquote>
11:29 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>羽仁五郎が最も、一般大衆に、自由というような価値を唯物論学者の立場から、あるいは社会科学の科学者として、一般大衆に敷衍するのに、苦労したとはたから見て見える点だ。</strong>
11:31 - 2018年10月16日 </blockquote>


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>羽仁五郎は「抵抗権」という「価値」を自然権として「事実の法」として「事実」から抵抗権という価値を証明しえたと思っているだろう。例えばどんな犬でも猫でも殺そうとすれば歯向かってくる。後ろに逃げ場がなければ強行突破で殺そうとする者に向かって牙をむくなり、敵に突進して股間から逃げ去る。</strong></blockquote>
11:35 - 2018年10月16日



アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>この事実から、抵抗権というものを自然権として羽仁五郎は説明する。</strong></blockquote>
11:36 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>人間の脳みそにヒットするだろう、なるほどと。</strong></blockquote>
11:36 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>自己保存の法則で生物が個体を守ろうとする動きをすることをもって、その事実を持って、果たして、価値「抵抗権」なるものが導出できたといえるのか?ここは議論のわかれるところだろう。権利という価値がア・プリオリに、先験的に存在しているのではなく、ただそういう事実があるだけだと。</strong></blockquote>
11:39 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>自由はどうか。羽仁五郎はどういう手法で自由なる価値を、事実の法から演繹するだろうか。</strong></blockquote>
11:41 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>そのたとえを私は確認できてない。ただ、言論の自由、表現の自由というものがあることによって、制限なき自由がこれらであることによって、事実の問題として、世論が喚起され、少数意見が多数意見に成長する可能性は保障される。</strong></blockquote>
11:42 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>制限なき言論の自由、制限なき表現の自由なるものは、権力 対 言論、権力 対 表現、権力 対 自由 そういう構図において成り立つものであり、強大な国権力に対して、人民には言論しか対抗手段がないのだという現実から、言論は自由でなければ、人民の自然権を守れないとい現実から、この事実から</strong></blockquote>
11:44 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>羽仁五郎は、言論の自由、表現の自由という価値を、導出していると思う。
これも事実から価値(自然法の価値)を導出しているとする羽仁五郎一流の眼力だろう。しかし、
</strong></blockquote>
11:46 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>この手法で並み居る価値をプリンスプルな価値を、人類は洗い直し、事実の法なるものから自然権の価値を導出していかねば社会科学が構築できないならこれはかなりのロスではないだろうか。少なくとも羽仁五郎のような高徳の正義の学者でない側は、同じような原理で事実から戦争する価値を導出する。</strong></blockquote>
11:48 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>自然主義ファラシーは、事実から価値の導出を否定した。全世界のその嵐が吹き荒れ、それまで正しいものとしていた学問的な正しいものは、体系的に、用語や理論を、約束定義した用語や約束定義した公理から導出し、あるいは、約束定義した用語や約束定義した公理に還元し、体系化した。</strong></blockquote>
11:50 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>近代社会契約も初めは自然権なる価値が先験的にア・プリオリにこの世の創世からあったとする自然主義一元論としての自然権だったがそこに社会契約というあらなる手法を誕生させた。自然権は自然主義的なままの要素を帯びていても、約束定義というものを出現させ「国家は人民が作った」と約束定義した。</strong></blockquote>
11:53 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>この社会というのも大きな社会=国家だが、この国家の出現の定義を、暴力集団が徒党を組んで弱肉強食で作ったとしたのではなく(歴史はそうだろうが)王権神授説でもなく約束として「国家は人民が作った」=国家の主人は人民であるという約束定義にしてそこからさまざまなな社会科学の概念を創出した。</strong></blockquote>
11:56 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>近代憲法も近代立憲主義も近代democracyもすべて、この、「国家は人民が作った」を源泉として整合性を持つ。連関している。これを継承して人類は今に至っている。日本人はそこまで脳みそがついていってない。人民主権の確立がないのは、こうした「論理という資源」の解放がされてないからだ。</strong></blockquote>
11:59 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>事実の法を発見し、それを裏づけとして、価値を事実から演繹するという手法は、気の遠くなる作業ではないだろうか。天才羽仁五郎の様な頭脳をもってしても。</strong></blockquote>
12:00 - 2018年10月16日



アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>事実と価値は二元なのだ。この壁を破るというエネルギーの消失をするより、事実と価値は二元であるという事を継承しそのうえでプリンスプルな価値を前提の要素としておけば、約束定義化すれば、そこから事実の連関を構築し前提にある価値(自然権)を各所にトップダウン的にトリクルダウンさせられる。</strong></blockquote>
12:02 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>近代社会契約の時点では、自然権は、ア・プリオリな価値として、価値一元論的にに即ち自然主義的に理解していた人類がほとんどだろう。ことにキリスト教の世界観なれば。</strong></blockquote>
12:03 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>しかし、20世紀においてその自然権の大家ラートブルフは、私は自然法に帰依するとさらりと、この問題をラートブルフ的には通過した。帰依。すなわち正しいものとして信じて受け入れる。すなわち、約束定義と同じ発想だ。それが正しいものとして、公理とするのと同じ発想だ。</strong></blockquote>
12:05 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>自分の自然権を守りたい。人民個人個人が自然権なる価値を連想し、その価値を守りたいという事実が生命の欲求としてあるのだから、まさにそれは事実の法だから、その価値を、約束定義として、その価値に帰依し、プリンスプルな価値として、受け入れればよいだけだ。近代社会契約の国家の約束定義は、</strong></blockquote>
12:07 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>「個人の自然権を守る為に人民が国家を作った」としているが、この中にある価値「自然権」を、ラートブルフと同じようにそれに帰依し、約束定義としてのこの近代社会契約の国家の約束定義を継承すればいいだけだ。</strong></blockquote>
12:09 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>それで、ファシズムが事実から価値を演繹する邪道をシャットダウンできる。さらに社会科学として、どんどん上に人民の自然権を守る社会科学を構築していける。</strong></blockquote>
12:10 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

<blockquote><strong>モラルという価値から、さっさと脱出して、現代の人民は、価値と事実は二元であることを理解し、論理という資源を解放し、自由になるべきなのだ。
(了)
</strong></blockquote>
12:12 - 2018年10月16日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん

【関連日記】
<blockquote><strong>人民主権の確立がすべてだ。そこ以外に日本人民の明日はない。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968774510&owner_id=38378433
</strong></blockquote>
12:12 - 2018年10月16日


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