mixiユーザー(id:24070241)

2018年10月13日08:51

261 view

日本1378

■新潮45休刊、社長「原稿料お支払いのチャンス減った」
(朝日新聞デジタル - 10月12日 19:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5328947
新潮が言論活動をやった訳では、無いと思う・・・・(笑)。其々、著者、発言者の名前をも以て、それらの意見を本にしただけある・・・と思う。責任の主体は、その発言者の説明にある・・・と思う。その記事に・・・否、意見に反発するならば、その著者に読者が挑めば良いのである(笑)。先ず、それを記事にするものには・・・徳は不必要なのである。
もっと酷い・・・本は、いっぱいある・・・と私は、感じる。読者には、選択の自由が、ある筈であり、そういう事に止めをさす事、所謂、廃刊にする事こそ・・・言論の自由違反なのだとも思う・・・。何度も言うが・・・排他的な思想の反面がLGBT『Q』であり、それらを寛容的とされるのが、ダイバシティであるが・・・。公正公平を旨とする日本国憲法であるが、この公正と公平が並び立つものなのか???を思考すれば、良いのである。
美辞麗句が並ぶ・・・日本国憲法であり、そして、それを平和憲法だとする・・・。四表の静謐という思想が、日蓮の仏法の中にある・・・、そして、普通という価値観がある・・・。これに逸脱するものを・・・個性と現在は、謂う・・・(笑)。方向的に言うならば、右左のしっかりした、区別なのだとも思うし・・・白黒という・・・意見の決着での押付けだとも考えられる。しかし、右左も中央が、有り、白黒も灰色という色がそんざいしているのも確かであるとも思う・・・。これを中庸と呼ぶ・・・。中道では、無い・・・中道とは、仏教的観念であり、仏教、所謂、釈迦の法を指す言葉也・・・・(笑)。中庸とは、四書五経に区別されるものである。差別では無く、系統立ててその論理を道理とする事なのである事を此処て、問う????。

仏教の眼目は、対座に依って、その機能を発揮させる事であり、それが、釈迦の精進・・・日々精進という言葉に結び付くのである。其処には、オピニオンリーダーたるものは、存在しないのである。この方法論が、所謂、時間を超えて、人々の善悪、是非の判断を生んできた、否、社会を構成し得るものと成った・・・とするのが、タムロの教えなのであるとも思う。所謂、人間行動学なのだとも定義付けられるとも感じる。

聖典を持つ民として、イスラムは、それらの人々を尊守するのである。
逆に聖典を持たない民は、その評価にも値しないとするのも・・・イスラムの排他的機能である。この人間行動学・・・の達人がそれらの教主であり、親であり教師である・・・それを、仏教では、仏を呼ぶ・・・。元の漢字は、佛・・・人が沸き立つのである・・・確か、この辺は、中村元氏の著書に記されていたと・・・・思う。

法とは???と問うと中村元氏の著書には・・・悩みがある・・・(笑)。

現代の日本人は、法とは、法律の類だと思っているし・・・それがメジャーの考え、思想なのだと言っても過言では、無い・・・・(笑)。

然らば、新潮45の法とは???を個人が考えれば、良い!!!!、そして、記事とするならば、LGBTQの考え方を・・・説明しての前提が必要であった・・・。LGBTを国民一人一人の観念に頼り、その規定がなかった事が、問題なのであるとも思う・・・。

それでは、同じ土俵という環境を作り出している事には、ならないのである。
この基礎学無し・・・に、議員如きが云々するには、100年否・・・早すぎる・・・問題に成ったのだという事。

僅か・・・50年程前の排他的考え、そして、差別といった事が・・・どれだけ多く、日本に存在したのか・・・それも新憲法の下での事・・・・(笑)。

今更、護憲とか、改憲とか言うのも・・・些かの失笑を禁じ得ないとも思う。
だから、学べ、そして、思考せよ!!!と勧めるものが聖典の意義を持つ・・・とも考えるのである。過って、助詞を直そう・・・と国会で訴えた、石原慎太郎議員がいた・・・、そうでは、無い・・・日本人にとっての聖典とは???を議論するべきであった・・・。前最高裁長官は、憲法改正は、国民の議論に委ねられるとの・・・方向を示唆したのである。日本国憲法の自由の観点は、その憲法に依り・・・不自由に・・・苛まれているのである・・・とも思う。

せめて、日本国憲法の前文だけでも・・・その一文一語の規定をすべきなのである・・・とも思う。それが、統合となる・・・。
その国民の統合の象徴・・・責任は、天皇に帰す・・・とするものが、我が国憲法の一条也・・・・(笑)。

日蓮の立正安国論に依ると・・・七難は。何故、起こるのか???が、スピリチュアルの世界で説かれている・・・(笑)。

日蓮は、大師・・・称号を与えられたものなのだ・・・・そして、その称号は、立正大師と言う・・・。

銘題通り・・・正しきを立てて、国を安んずる・・・立正安国なのである・・・事、こそ・・・立正安国の意義なのである・・・。

日蓮を、排他的だと決めつける、学者も存在するが・・・私は、そうは、思わない。

対話、法諭に依って・・・相手に理解せしめる・・・事こそ・・・その仁に寄るものだとも思う・・・。

新潮45の様に・・・廃刊にして・・・逃げる事では、無く・・・・決して、そういう事を・・・マッチポンプと呼ぶものでも無く・・・それ以下の臆病者也・・・と思う。

臆病なものには、言論の自由よりも・・・・学の自由を勧める・・・ものである・・・とも思う・・・(笑)  ペンギン

2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する