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2018年10月12日09:49

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自殺のあと

■「妹は稼ぎの道具だったのか」16歳で自殺した農業アイドル、遺族が提訴前に会見
(弁護士ドットコム - 10月11日 19:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=5327270


 自殺者は被害者なのか。

 本人はもう生きていない。この世で何かを進展させることも永遠に無いのに、そうなってから色々な関係性を根掘り葉掘り洗いざらい究明したくなる近しい人が出て来る。こういう話はよく見るものになっている。周りの人は自殺者が死ぬ前にこれをやるべきだったと言ってみたところで後の祭り。


 朝のテレビでもやってたけど、この手の話に共通するのは、自殺者を被害者だと位置づける構図。そのことは完全に前提として決定しているかのような雰囲気が当たり前のこととしてことの顛末が紹介されて検証が始まる。

 本当に自殺者というのは被害者なんだろうか。人生を投げ捨てる。親族をはじめ関係していた人々を完全に無視して裏切って逃避する。そのあとに残ったものを眺めてみれば、永遠に癒すことのできない無残な感情の渦がそこにもここにもあそこにも放り投げ出されて現実のものとして存在している。

 世の中は、自殺が後に残すものをよく眺めてその卑劣なだけの逃避を確かな意識のもとに非難するべき。

 残念ながらそういう意見や感想はどこにも見当たらない、聞こえても来ない、そうしてなんとなく自殺そのものを因果の結果として位置付けてゆるゆると容認しておいたまま、被害者、に納めておく。この国民性が変わってこなければ自殺、とりわけこういう若い人の自殺は減りはしないだろう。

 若い人、ものを知らない人、ものを判断し切れない人、発展途上の人、は、結局世の中に流されるもの。模倣から経験を積んで大きくなるもの。世間や世の中を担うのが大人の責任だとするなら、大人だと思っている人たちは自殺そのものの、罪、にもっとはっきりと気が付いてそれを口にするべきだと思う。

 命を放棄して死んでいなくなったもう生きられない人の真実なんて必要ない。あとに残されて今生きてる人が必要だと思ってやっているだけのことで、それはそれでやったらいいとは思うけど、その前に自殺は大きな罪だということに気が付くべきでそのことを世の中に発信するべきだと思う。



 生きている間は生きて険しいことにも対峙して対応を繰り返すこと。喧嘩も時と場合によっては避けては通れない。喜びや楽しみだけが大切なのではなく怒りや哀しみも同じように大事にして生きて行かないと。


 
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