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2018年10月12日00:22

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慶應義塾戦没者追悼会で「戦没塾員賛歌」を独唱致します。

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一昨日であと一ヶ月となりましたが、
11月10日(土)14時より慶應義塾大学三田キャンパスにて行われる慶應義塾戦没者追悼会にて「戦没塾員賛歌」という曲を独唱させていただきます。

私は、小学校1年生の時よりピアノを習いました。
その時、ソルフェージュという楽譜を読むことを中心とした基礎訓練を受けておりましたが、楽譜を見ただけで初見でそのまま歌えてしまっておりました。
それが特に凄い事だとも何とも持っておりませんでした。
小学校4年の時に合唱部にて活動し、演奏会で「荒城の月」「泉のほとり」を歌い、その後、中学受験の勉強のために合唱部をやめました。
中学受験にて幸い第一志望であった慶應義塾普通部に合格し、将棋部主将を務める傍ら卓球部のマネージャーを務めました。
また、選択授業にてフルートを学びました。
高校では、兄もこの団体で指揮者を務めていた慶應義塾高校・女子高等学校混声合唱団楽友会に入部し、
2年生の時に地下鉄サリン事件直後に、保守系の集会等が時々行われている永田町の星稜会館にて
「慶應義塾塾歌」を指揮し、
3年生の時には文化祭にて、現在総務省にお勤めの先輩の御命名にて
「清水と愉快な仲間たち」と題して男声四部カルテットで「慶應義塾歌集」を歌いました。
3年生の時の定期演奏会では難曲とされる木下牧子作曲の混声合唱組曲「方舟」を指揮し、
20人弱で何とか成功させました。
20人いない混声合唱でこの曲を成功させた例は他にあるのでしょうか。
また、高校では将棋をやるつもりは無かったのですが、
中学の時の良きライバルであった友達に誘われて高校団体戦神奈川県大会に出場し優勝してしまいました。
学業においては、まあ、中の上程度の成績でしたけれど、
これで就職活動をしていたら最強の部類に属していたのかもしれません。
ちなみに、その合唱団の1年下の私の後継者といえる後輩は、指揮者としては非常に頼りなく思えてしまう人だったのですが、大学3年生の時に司法試験で合格してしまいました。
また、この高校3年の頃にショパンのピアノ曲「軍隊ポロネーズ」を弾きました。
どういうワケか、私はピアノの先生に「トルコ行進曲」等のモーツアルトの曲をよく弾かされていて、
それはそれで後にオペラ初主役としてモーツアルトの晩年の最大傑作「魔笛」のタミーノ王子役を歌う事になったので
丁度良かったとは言えますが、ショパンの「軍隊ポロネーズ」を知り合いが弾くのを聴いて良かったので
自分も弾いてみたかったのです。
今の私は司法書士の資格を取得した上での技能採用での予備自衛官を目指しております。
大学では慶應義塾ワグネルソサイエティー男声合唱団に入団し、男声合唱の顔たる主旋律を主に歌うトップテノールのパートに配属され、
1年生の時に早稲田と慶應の1年生のコンサートである「金の卵コンサート」というコンサートで
「Ride the chariot」という黒人霊歌のソロをトップテノールパートの1年生の仲間達の推薦により私が歌いました。
ちなみに、その会場は、今となっては左翼の牙城であると分かった西早稲田にある早稲田奉仕園という教会でした。
早稲田の1年生のE君という人と共にソロを歌ったのですが、E君が非常にふざけた歌い方をしていたので、
私はブチ切れてしまいました。
というわけで、男声合唱の顔たるトップテノールのパートのパートリーダーの最有力候補だったはずなのですが、
どういう訳か、それ以降、練習すればするほど下手糞になって行くような感じで、
4年生の時にはお荷物的な存在になってしまっておりました。
卒業後、「チーム浅草橋。」という慶應義塾ワグネルソサイエティー男声合唱団のOB有志の活動に参加し、
そこで吉川貴洋さんという方の指揮で歌い、上達して行ったのです。「吉川再生工場」です。
この吉川貴洋さんという方に一昨年の参議院選挙の際に日本のこころを大切にする党の選挙活動で
お電話させていただいた際には「「日本」ですね?」と仰られたものです。
そうです。当時、日本のこころを大切にする党の選挙の投票における略称は「日本」だったのです。
また、神奈川の首都オペラという団体の主催の2000人収容の神奈川県民ホールでのオペラ公演にコーラスで出演し、ヴェルディの「運命の力」という作品に出演した際には「兵士1」という役を
現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」のテーマ曲を指揮されている下野竜也さんの指揮で歌わせていただきました。
この事が発端となり、小学生の頃の夢だったオペラ歌手になる事を思い出し、
ある団体に最初はコーラスで出演したのですが、
そこは東大歌劇団で主役を歌っていた内閣官房の国家公務員(彼は私と同学年なのです)が主役を歌っていた団体で、
「俺のライバルになる奴が初めて現れた」と言われたものです。
彼は小泉元総理大臣と一緒にオペラを観る事が夢だと語っていました。
私の母方は武田信玄公の家臣だった小泉氏と言いますが、
私は特に小泉元総理大臣と一緒にオペラを観たいとは思いません。
一緒に観てもいいですけど。
そしてその2年後にその団体で私のオペラ初主役となる
モーツアルトの晩年の最大傑作「魔笛」のタミーノ王子役を歌わせていただきました。
これは全く思いがけなかった事でありまして、私のような者がオペラの主役などという大役を務めさせていただいてしまって良いものか非常に悩み、前回の公演の共演者達に相談し、皆の賛同を得て拝命したものでありました。
その時の私と共演者達のプロフィールはネット上にありますので、ご関心がお有りの方はご覧下さい。
その後、幾つかのオペラ団体でソリストとして出演し、
東京国際芸術協会という団体が主催するサンパール荒川大ホールでのワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」という
歌劇の出演の話をいただいたものでしたが、ある事を交渉しようとしたら出演を断られてしまったものでした。
それからの事だったか、私は、門下の演奏会ではありますが、六本木のサントリーホール(ブルーローズ)にて、
右翼、左翼という言葉の元となったフランス革命を舞台とした「アンドレア・シェニエ」というオペラの
実在した主役の詩人のアンドレア・シェニエのオペラアリアを歌い、評論家の方から、
(芸大卒業生も含めた)「男声の中で一番良かった」と仰っていただけたものでした。
腐っても「金の卵」です。
あの最低最悪の民主党政権の時の事です。
私の大学での卒論は、18世紀イングランドの国教会のジョン・ウェスレーという聖職者の
保守的な政治思想等に関する事でありまして、彼の思想と活動が18世紀イングランドにおいて
フランス革命のような流血の革命を未然に防いだと主張する学者もいました。
等と書いている最中に、去年の赤尾由美さんの選挙活動で知り合う事が出来た武田信玄公の末裔たるFBFの方からご連絡があり、どういう訳か暫く主にキリスト教に関する事をお話してしまいました。
私の母方の先祖は小泉という長野県の豪族で、武田晴信(晴信)公が上田に攻めて来た際には、
村上義清と共に戦って武田晴信(信玄)公に二度勝利し、
その後、FBFの真田さんのご先祖の真田幸隆の調略により砥石城という城が落とされ、
村上義清は越後に逃れ、我が先祖は武田晴信(信玄)公の家臣となりました。
この「上田原の戦い」は大河ドラマ「風林火山」では「最強の敵」と題して放映されました。
和田政宗参議院議員のお陰もあって真田さんに初めてお会いした際には「村上義清は強かった」と仰られました。
その後の5度に及ぶ越後の上杉謙信との川中島の戦いがりましたが、
「この方面の地理に明るい真田氏を始め、小県の海野・祢津・室賀・浦野・小泉の諸士は、武田軍の最前線で命がけの働きをしていたことは確か」
な事なのだそうです。
http://museum.umic.jp/ikus…/history/takeda-kawanakajima.html
自民党で30年色々な事をしていたという私の知り合いから”特攻要員”と評された
数年前に自民党に入られた和田政宗参議院議員とある意味で似たような立場だったのかもしれません。
また、その4度目の戦いで武田信玄公の弟で真田信繁(幸村)公の名前の由来ともなった武田信繁公を
討ち取ったのは村上義清ではないかとも言われているようですから、
いつか、その武田信繁公を祀った典厩寺にも参らねばなりません。
私は、この夏、母校である慶應義塾高校の野球部の応援に甲子園に行き、その次の日が広島の原爆の日でしたので
広島に行って朝から平和記念式典に参列し、広島市内にある東京裁判での無罪判決で有名なパール判事の碑文があるお寺に行き、
更にその次の日に私の座右の銘である「七生報国」という言葉を残した天皇への最大の忠臣であったと共に共に兵法の天才とも言われる
楠木正成公を祀った神戸の湊川神社に初めて参り、どういう訳かお互い示し合わせていたわけでもないのに
同じ日に和田政宗参議院議員もその湊川神社に行かれていたようでありまして、
そして、その帰り道に熱海駅からの興亜観音に向かおうとしている最中にこの慶應義塾戦没者追悼会での「戦没塾員賛歌」という曲の独唱の依頼のメールを拝見致しました。
物凄い偶然であります。
興亜観音においては、そこにご遺骨が埋葬されいる方々が映画に描かれているのと同じように
「天皇陛下万歳!!」「日本国万歳!!」
と叫び、「海行かば」を歌いました。
そして「戦没塾員賛歌」の独唱の依頼を謹んで拝命致しました。
我が国のために命懸けの想いで歌わせていただこうと思います。
そして、その命懸けの想いを果たすために、その次の日に行政書士の資格の試験を受験致します。
本日、その慶應義塾戦没者追悼会の案内のはがきが郵送で送られて来ましたので、画像を掲載させていただきます。

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