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2018年10月09日16:18

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平穏な日々

毎朝当たり前の様に目が覚めて
毎朝当たり前の様に太陽の陽を浴びて
毎朝当たり前の様に食事をして…

朝は誰にでも訪れて来ると思って来た。
太陽は人に平等に陽の光と温もりを届けてくれている
…と思って日々を過ごして来た私がふと立ち止まった場所
それは己の心の中

今年は色々の出会いが沢山あり過ぎてcapacityoverな感じがして来た。
inputだけでoutputが思うように出来ない
時間がドンドン走って行くように感じるこの頃

 中学生の頃から一日一冊は必ず読書する日々
更に読んだ本の感想を原稿用紙に認める日常
こんな日常が働き出し、更に学び出しドンドン時間が持って行かれる感満載の日々を送って来た。
 特に米国に通い出してからは専門書と悪戦苦闘の日々が延々と…
「余計な事をしなければいいのに…」
と自分に言い聞かせて来た自分

 そんな自分とバイバイバイバイしたつもりなのに…

高校生の頃に「平和」について作文を書けと国語の恩師に言われて色々考えた日々。
正直「平和」についてなんて考える事も無い位に忙しい学生生活(バイトが忙しい)
でもこの作文の入選者が「CHICAGO」へ行けると聞いて必死に図書館通い
故ケネディー大統領の側近C ソレンセン著作の「平和への道」を読んでケネディーは「平和へのプロセス」として戦争を位置付けて考えていて事を知って更に混乱をした高校生当時の私
 戦争を知らずに育った私も基地の街で育ち、戦争の余韻の残る中で子供の時代を過ごしていた。米国人の姿は当たり前に見て育ったので違和感も全く無い。
 正直「戦争」を認めた本は高校以来全く読んで来なかった。

大林監督の「花筐」が上映されると知り、若い頃読んだ檀一雄さんの「花筐」を思い出した。全く咀嚼出来て無い儘に放置していた。
檀一雄さん一族とは色々な縁がありもう一度ゆっくり本を読んでみたくなった。
 そう思いながらもあっと言う間に一年が経過している…
映画の「花筐」を観てからでもいいかなと気楽な気持ちで映画を観に行って来ました。

 大林監督は肺がんに罹患しながらの撮影。何故か映画館宛てのコメント画面にメッセージが…
 多くは語れないけど
「癌に罹患して良かった」「癌に罹患していなかったらこの作品は出来なかっただろう」等々のコメントには少々違和感を感じた私。

人はギリギリ追い込まれた時に色々な発見をしたり
色々なideaも浮かぶ時があるかも知れない

今は書く時間も中々取れないけど、もう少し平穏な日々を送りたいと…
多分「平穏な日々」の連続が「平和」と言えるのでは無いだろうか?

少なくとも現在3歳の孫が大人になっても「争い」の無い社会でありますようにと願う私が居ます。
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