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2018年10月09日12:47

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取り合えず、優劣を付けるのはやめてみようか。

夢って色々あると思うんですよね。
お金に繋がる夢もあれば、お金の匂いが全くしない夢もあります。
個人の可能性を追求していく夢もあれば、人類の発展、平穏に繋がる夢もあります。
その一方で、極めて個人的で興味の欠片も無い第三者からは、毛ほどの理解を得られない夢があります。

夢って個人的な話であって、誰かの期待を背負って邁進するものでは無いのかと。

夢に向かって進んでいくうちに、それは「夢」ではなく「現実」になって来ると思うのですが、その現実がいつ来るのか?という話と、「現実」にならずに「妄想」に代わるのでは?という部分もあるのかと。

星が好き。

こういう感情を抱いた子供が、好きが高じてそれを専門的に学ぼうと思うのが「夢」だと思うんですよね。
方向性は幾つかあって、その一つが「宇宙飛行士」なんだと思うんですよ。
無論「宇宙飛行士」になりたいと思う人で別のアプローチからそこにたどり着く人もいるわけですけど。
で、「宇宙飛行士」になるためには、色んな条件があって、身体的な要件もその一つなわけですが、望んが人の全てがその身体的要件を満たしているわけでは無く、当人の努力とは別の問題で、その夢を諦めなければならない状態になります。
そこで問題となるのが、その「夢」へ向かう動機ですよね。
星が好きで「宇宙飛行士」を目指したのであれば、宇宙飛行士になれなくても星好きは変わらない訳でしょうから、身体要件によらない関わり方って幾らでもあると思うんですよ。
別アプローチで「宇宙飛行士」を目指した人だって、宇宙に関連するバックアップの仕事って幾らでもあると思うんですよね。

好きな事をして食べていくのは理想ですが、好きな事だけして食べて行っている人は稀です。

ここを勘違いしがちなんですよね。
好きな事だけやって食べていくって、単なる我儘でしょ?

夢破れたとき何をするか。

その夢が誰の夢で、破れるまでに何をしたかによるのでは?

もうこれ以上出来ない!

と言う所までやり遂げて諦める分には、挫折感はあるでしょうけど立ち直りも早いのでは?
才能を言い訳にしても良いでしょうし、その才能が努力で得られない、近づくことが出来ないと諦めたわけですよね?
問題は、その夢が自分の物の様に思っていても、実は第三者の要望だったりした時です。
人って、期待に応えられないときの挫折感って半端ないですからね。

将来の夢

案外怖いのは、ここに親の思惑が入って来る事です。

星が好き。

単純に星を見ながら、無限を空想するのが好きだったりした子が、生きていく糧を得るために宇宙飛行士を目指すよう誘導されていたとしたら?
星を眺めるのが好きなら、空気な綺麗なところに住み、好きなだけ眺めれば良い話で、それも、そういう場所で職を得るという選択から、お金を稼げる職に就いて、そういう場所に別荘を持つという選択もあるわけですよね。
宇宙飛行士が入って来る余地なんてないのですが、宇宙飛行士を目指すよう誘導された挙句、挫折感を味わうとしたら酷い話ですよね。
別に子供に宇宙飛行士の存在を伝えるなと言う話ではありませんよ?
それを超えて子供に押し付けるのは、子供の夢ではなく、親の夢ですよね。

単に野球が好き、サッカーが好き、バレーボールが好きと言う人も、プロを目指させられた挙句、味わう必要のない挫折を味わう事になっているケースもあるのでは?

ある程度進めば、それで食えるかどうかなんて、やっている本人が一番わかる話ですよ。
ただ、それが好きなのであれば、それをしながら食っていく道を探すわけですよね。
それ自体は、挫折でも破れる事でも無いと思うんですよね。

私は、小学生の頃から木を削るのが好きでしたが、それで食べるのは諦めました。
木目を読んで木目を生かす作品に出合い、自分には無理だと悟り、案外挫折感はありませんでした。趣味でやれば良いだけで、何時か、木目を正しく読み自分が望んだ形が表現できれば良い話なので。
幸い、親はネクタイを締める職業を熱望していたので、親の期待もありませんでしたしww

全てがそうとは言いませんが、頭一つ抜けるのは才能が必要ですが、才能だけあっても努力が劣っていれば、その才能もさび付きます。
才能があって、努力を重ねている人には、到底かなうものではありません。
ただ、それが好きか否かという一点のみでその道に進めるのではないのでしょうかね?

話の筋がズレてしまいましたが、将来の夢がYouTuberというお子様が増えているらしく、その背景はもっともらしい事を言っていますが、

楽して金が儲かる。
好きな事をしてお金がもらえる。

と言う話の様で、「努力」の匂いのしない方向に流れているのが気になったもので。

好きな事なら、趣味で続ければ良いだけですよ。
それで食べるのは夢であっても、それで食えないからと言って捨てる必要はないでしょ?
人に誇れるような話でも、人には言い辛い事であっても、当人からすれば夢は夢ですよ。
誰かの思惑に乗せられることなく、自分の夢を追いかけてください。
それで食べようと思い、もう無理と言う所までやれば、食えないのが分かった段階で他の食う道を探しますよ。
夢を追うあまりに現実が見えなくなり、夢が妄想になったら悲劇ですよね。
ただそれも、自分自身の夢であれば、妄想になる事は無いのかと。
自分が一番わからないのは自分ですが、自分を一番よく知るのも自分ですから。


■小説家、漫画家、ミュージシャン…夢破れたときに何をすべきか?
(日刊SPA! - 10月08日 17:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=5322550

 いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か? そのヒントをつづる連載第70回

 私たちは思春期になると、創造性に魅了されるようになります。たとえばアニメや漫画なら、それまではアンパンマンやドラえもんなど国民的な作品を見ていたのに、徐々にマニアックな作品を見るようになります。それから「こういう物語こそ一番素晴らしい」という持論と、それを表現しようとするクリエイター願望が芽生えます。

 しかしクリエイターとして成功できるのはごく一握りです。自分の力を信じて作品を発表すること。作品がパプリッシャーに認められること。そして消費者に認められること。これを長年に渡って続けられる人はまずいません。それどころか箸にも棒にもかからない場合が大半でしょう。

 画家、ミュージシャン、小説家、漫画家、ゲームクリエイター、映画監督。多くの人間がクリエイティブな職業に憧れ、そして夢破れます。その絶望の中で、私たちはこう呟きます。どうせ何をやっても無駄だ、自分には才能がないんだから――。これが自分の人生を歪めるネガティブな信念になります。

 ネガティブな信念の一つや二つ、誰にでもあります。しかし「創造」「競争」「恋愛」に関わる挫折は特別厄介です。この種の挫折はそのカテゴリーだけにとどまらず、人生の広範囲に影響を及ぼします。夢を諦めてまったく違う仕事に就いたとしても、ちょっとしたミスやトラブルで「自分には才能がないから」「どうせ何をやっても無駄だ」というネガティブ思考が浮かんできて、物事を良い方向に運べなくなってしまいます。

 冷静に考えれば、「憧れていた職業」と「実際に就いた職業」に求められる内容が違うことは誰でもわかるはずです。でも、それがわからなくなるからこそ信念なのです。ですから、これを「そんなこともわからないで、いつまでも昔のことを引きずっているから、何をやっても上手くいかないバカなんだよ」という冷笑的な態度で捉えるのは明確な誤りです。もし本当にこの心の仕組みを理解しているならば、同意と慰めが生まれます。

◆「自分には才能がない」には二種類ある

 私たちは信念について、ほとんど適切に対処できていません。なぜなら信念は潜在的だからです。夢を諦めた瞬間の「自分には才能がない」と、それから普段の仕事で浮かんでくるようになる「自分には才能がない」は同じ内容でも別物です。前者は信念であり、後者は思考です。

 内側の信念と外側の現実がぶつかった時に思考は生まれます。信念が本質的で、思考は表面的と言い換えることもできます。信念を正さない限り、思考も正せません。「こんなこと考えるのは良くない」と打ち消そうとしても打ち消せない理由もここにあります。

 では、どうすれば信念を正せるようになるのか。そのためには自分の過去と向き合う必要があります。挫折の経験を振り返り、「憧れの仕事に就けなかった」という事実ではなく、「そのことに絶望した」という自分の心に寄り添えば、ネガティブな信念は自然と消えてなくなります。その時にはさめざめと涙が流れることもあるでしょう。すると今の仕事をするにしても、「才能」といった話を持ち出さなくなります。「才能があるか、ないか」ではなく、そもそもそういった話を持ち出さない。これが「解消」という手法です。

 そのためには普段から自分の心を振り返る習慣を持たなくてはなりません。人間の心はボジティブとネガティブのどちらも含めた信念の集積体で、簡単には紐解けません。深く傷ついた時に生まれた信念ならばなおさらでしょう。それは抑圧されて、認識できないようになっています。また、そもそも思考と信念を選り分けられるようになるにも練習がいります。

◆心の動きを記録しよう

 しかし、その分だけきちんとこなせば効果は絶大です。今よりもずっと自分のことがわかるようになります。ぜひ自分が普段から考えている内容を振りかえって、記録する習慣を持つようにしてみてください。

 自分の願望と才能が一致していれば幸いです。しかし、必ずしもそうとは限りません。かくいう私もずっと小説家になりたいと思っていましたが、その夢は叶いませんでした。一方で私は人間の心を解き明かすことについては、疑いのない才能がありました。それを選択できるようになったのも、自分の心について理解を深めてきたからです。

 というのも才能は自分にとっては特別ではなく、当たり前だからです。たまたまそれを披露する機会があって、人に驚かれたり賞賛されて、「え、なんでこんなことで?」と戸惑いつつも、だんだん自分で認識できるようになる場合が大半です。自分の才能を選択肢に加えることにすら理解が必要になります。

 願望を選ぶのか、それとも才能を選ぶのか。その選択に正解はありません。「それでも自分の夢は捨てられない」という追いかけ続ける人もいるでしょう。ですが、少なくとも自分で選べるようになる必要があるのは確実です。私たちは考えているよりもずっと、自分の心と向き合わなくてはなりません。




【佐々木】
コーチャー。自己啓発とビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツ「ボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ「星を辿る」
日刊SPA!
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