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2018年10月06日14:09

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ナチス戦犯が裁かれたニュルンベルク裁判所を訪ねた

2012年9月のドイツ旅行では、ナチス・ドイツに関する場所、博物館、サッカー観戦をしましたが、この日記では1945年から46年にかけて、ナチス・ドイツのA級戦犯が裁かれ、さらに、その後の継続裁判でも、B・C級の戦犯(武装SS将校のパイパー、マイヤー、SDのシェレンベルクなど)が裁かれた、ニュルンベルク裁判所を訪れた時の様子を書きます。


ナチの戦犯たちが裁かれたニュルンベルク裁判所は、日本のように巣鴨プリゾンの跡地に高層ビルを建てるという、無粋なことなどはせずに、今でも裁判所として使われている。ニュルンベルク地方裁判所の大きな建物の隣の、小さな裁判所が、ナチの大物戦犯たちを裁いた建物だ。

僕はてっきり、地方裁判所の中の大きな法廷でニュルンベルク国際軍事裁判が行われたのかと思い、裁判所の入り口で、
「ナチの戦犯が裁かれた、ニュルンベルク裁判所の展示を見たいのですが」
というと、裁判所の職員のおじさんが、
「ここではなくて右隣にある建物だよ」
と教えてくれた。

右隣にあった建物は、とても、ナチの大物戦犯たちが収容され、裁判され、処刑までされた建物とは思えないような、小さなレンガ造りの建物だった。今では、簡易裁判所として使用されてるらしい。まあ、ニュルンベルクも市街の内の95%以上が破壊されたというのだから、僅かに焼け残った建物を探したら、この小さな裁判所くらいしかなかったのだろう。


建物内に入って、カメラ以外の荷物を受付に預けると、すぐ近くに、ニュルンベルク裁判が行われた法廷の入り口があった。平日ではあったが、僕以外にもドイツ人数人が見学に来ていた。法廷の中は、別に日本の裁判所の法廷と何も変わらないような普通の法廷だった。想像していたよりもかなり小さくて狭いという感じだった。まあ、でも、説明文によると、今でも裁判に使われているので、当然、ニュルンベルク裁判当時とは大幅に、裁判室内部の座席の配置などが変わっていた。

僕を含めて、見物客は傍聴席にしか座れないのだが、当時は、傍聴席は2階にあり、現在の傍聴席には各国記者団が座ったという。それで、僕は、ゲーリング、シュペアーなどのナチス大物戦犯が座ったと思われる場所を、何度もじーっと眺めた。他のドイツ人の客も同じようにナチス大物戦犯が座った辺りを見ていた。

その後、2階に行くと、ニュルンベルク裁判で裁かれた戦犯たちの逮捕から判決、刑の執行までが、ドイツ語と英語で説明されていた。ニュルンベルク裁判では、ゲーリング以下、12人が死刑となったが、ゲーリングは死刑執行当日の朝に毒薬を飲んで自殺し、ボアマンは行方不明だったので、結局、死刑となったのは、10人だった。軍人では陸軍のカイテル元帥とヨードル上級大将が死刑となり、日本に関係ある人物では、親日派で日独軍事同盟を強力に推進したリッベントロップ外相が死刑となった。

それ以外は、他のナチス関連の建物、博物館にあるような、ナチス・ドイツの戦争犯罪の説明が、同じように書かれていた。


それで、受付に戻って荷物を受け取ると、建物を去る前に受付にいた50才ほどのおじさんにドイツ語で、
「僕は日本人ですがドイツに対してはニュルンベルク裁判があり、日本に対しては東京裁判がありました。戦勝国にも犯罪行為はあったのですが、敗戦国の犯罪しか裁かれませんでしたね」
ということを言ったが、おじさんはちょっと声を出して頷いただけだった。

ドイツ人に限らず、白人は話をするのが好きなのだが、まあ、おじさんは仕事が忙しかったのと、EUが出来て「ヨーロッパは一つ」という雰囲気なのに、厄介なトークは避けたかったのだろう。


写真は左が、ニュルンベルク裁判が行われた建物。中が、ニュルンベルク裁判が行われた法廷の今の様子。左側にナチスの被告たちが座り、反対側に裁判官たちが座っていた。右が、ニュルンベルク国際軍事裁判が行われた当時の、法廷の模型。今の法廷とは、座席の配置などが、全然、違っているのがよくわかる。
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