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2018年09月24日14:29

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自分に課していることの祝福

「自分に課していることの祝福」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/9/24(月・振替休日)【1251】」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19198 (写真入り記事)

今日は、昨日の秋分の日が日曜日と重なったため、振替休日です。

多くの人は休日ですが、そうでない人も多く居ると思います。

うちの場合は、長女は塾の講師のアルバイトに出かけていますし、長男は高校のサッカー部の試合で出かけています。

下の二人の子たちは、家で勉強をしたりしながらゆっくり過ごしています。

私と妻は、いつもと同じです。

子どもたちが小さかった頃は、このような時には家族で旅行をしたり、来るまでドライブや買い物に出かけましたが、子どもたちが大きくなってからは、全員が揃わないし、出かけても混んでいるので、出来るだけ動かないことにしています。

時には、休みを取りたいと思っていますし、「週に一度は安息日を」と文章で書いて、みなさんに奨めていますが、実際は、安息日は取れていないのが現状です。

しかし、疲れてどうしようもないような時には、短時間でも昼寝をしたりして疲れをとるようにしています。

一日中予定が詰まっているような時には、移動中の電車の中で目を閉じたり、車の場合は、早めに目的に着いて車内で仮眠します。

何にもやることがない日はまずありません。一日休んだとしたら明日が大変なことになります。

今日できることは今日中に終わらせます。また、明日以降の仕事でも、今日やっても良いことなら、すぐに手をつけます。

前倒しで仕事を次々に片付けても、やっと少しゆとりができたと思った途端に、様々な奉仕の依頼が入ったり、食事の誘いや、「相談したい」と連絡が入って来ます。

不思議なくらい、毎日、ぎっちりと予定が詰まっています。

しかし、どんなに忙しくても、必ず自分に課していることがあります。

新約聖書の「第三ヨハネ1章2節」には、『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』と書かれています。

ここに三重の祝福があります。

�,燭泙靴い帽�いを得る祝福
�△垢戮討療世任盥�いを得る祝福
�7鮃�の祝福

この3つの領域に関することです。

まずは、たましいの幸いのために、毎日、一定量の聖書を読み、一定時間の祈りを捧げます。

どんなに忙しくても、可能な限り、これを一日の一番最初に行います。

次に、すべての点でも幸いを得る祝福のために、与えられた使命に関する仕事を行ないます。

私に与えられた使命は伝道です。

インターネットで1日2回以上投稿します。

文章に写真をセットします。

聖書のメッセージ、自分の失敗談を含めた、神様がして下さった良い事などを文章にまとめて、その日の写真やイメージ写真を載せて投稿します。

その他、可能な限り路傍伝道をしたり、頼まれた奉仕、必要とされることがあったら、進んで行なうようにしています。

さいわいを分かち合うと、神様がさいわいを与えて下さるのです。

最後、健康のために運動をします。

自分に課していることを休む時は、入院した時、朝から夜まで体が拘束される仕事をする時くらいです。

朝6時に家を出るならば、朝4時半に起きて、この3つのことを終えてから出かけます。

自分に課していることがあるお陰で、無駄な時間を過ごさないようにしています。

つまり、何もいない時間を作らないことです。

ただ、聖書を読んだり、祈ったりする神様と過ごす時間や、人を愛するために人と過ごす時間は大切にします。

ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたり、ユーチューブを観ることに没頭したりしないようにしています。

ただ、すべてを終えて、寝る前の時間に、SNSやメールの返信をしたり、ユーチューブなどでドラマを観たりします。

しかし、これは一番最後の時間であり、これが自分へのごほうびとしています。

自分に課していることが習慣になると、大きな力になります。

ただ、無理し過ぎて飛ばし過ぎると長続きしないですし、忙しくなるとやらなくなってしまいます。

私は、相談を受けたクリスチャンの人には、1日1時間、聖書を読み、祈ることを奨めます。

忠実に行う人は、すべての問題が解決して、顔が明るくなり、元気になります。

「良かったな!」と思って安心していると、次に会った時には、顔が暗くなり、笑わなくなり、話す言葉が否定的になっていることがあります。

「祈りと聖書通読を続けていますか?」と聞くと、「忙しくてできなくなりました」というのです。

これでは本末転倒です。

せっかく問題がやって来て、試練に遭ったことで神様に近づいたのに、問題が解決したら神様から離れてしまうとしたら、祝福が災いとなっています。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがありますが、神様と交わることで解決し、回復し、立ち上がれたのに、それでは何の意味もありません。

それでは、神様に仕えているのではなく、神様を自分のために利用しているに過ぎません。

もちろん、それは私自身への自戒です。

神様を、自分の成功や祝福や名声のために利用するのは失礼なことです。

いかに、神様に私の人生を使っていただき、神様の栄光が現され、人々を祝福し、生かすことができるかが、願いとなっているように願います。

この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
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