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2018年09月18日02:03

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さくらももこさんの思い出

10日ほど前、毎日新聞の夕刊に掲載された追悼文を貼り付けます。

さくらももこさんの思い出   土屋賢二

 とても貴重なものが失われてしまった。さくらももこさんの死がもたらした衝撃と喪失感は薄れる気配がない。それほどさくらさんの作品は多くの人に深く愛された。
 それも当然だろう。ちびまる子ちゃんは奇異な経験をするわけではない。小学生のだれもが過ごすようなありふれた毎日を送っているだけだ。その中からあれほど多くの笑いを発掘したのだから驚異としか言いようがない。読者は、だれもが思い当たるような生活の一コマ一コマがこれほどの笑いを含んでいたことに気づかされ、活力を取り戻してきた。
 この偉大な才能の持ち主がわたしに対談をもちかけてくれたときは夢かと思った。わたしを「漱石以来の名文を書く」と評価したというのがわたしを選んだ理由だったが、その後、色々話しているうちに、漱石以外はあまり読んでいないことが分かった。
 さくらさんは、声も顔も言動も考え方も人柄もちびまる子ちゃんにそっくりで、だれからも愛されるような人だった。
 ちびまる子ちゃんは従来の少女漫画の少女ではない。現実の子どもだ。従来の「子ども」が純真で無邪気で単純で素朴で無垢であるのとは対照的に、ちびまる子ちゃんは、正義感は強くても、計算高く、思いやりがあるのに自分勝手で、怠け者でズルがしこく、すぐ反省しては反省したことをすぐ忘れ、愚かでありながら、大人の愚かさをあばき、イヤなことから逃げまくるという、だれもが自分の中に見出していた子どもだ。
 それがそのまま大人になったのがさくらさんだった。
 もちろんただの子どもではない。天才だった。対談本を補足するために、わたしの目の前でサラサラと原稿用紙二、三枚を書き、一切の訂正もなく、完璧な原稿が出来上がった。ただ、これほどの集中力を発揮するのに、集中力が続かず、長いドラマや好きなミュージシャンのコンサートも最後まで見ていられないとおっしゃっていたから、夢中になったかと思えば飽きやすい子どものようだった。
 また、イヤなことはやらないというさくらさんの姿勢は徹底していて、人がイヤがることを押しつけることはせず、「息子が学校に行きたくないと言ったら、『行かなくていいよ。罰金でも何でも払うから』と言う」とおっしゃっていた。
 仕事場にしていたお宅はタイルを一枚一枚自分でデザインし、窓枠もテーブルも特注というこだわりようだったが、これも子どものころから夢見たお城を実現するつもりだったとおっしゃっていた。
 また健康オタクでさまざまなアヤシい健康法を実践しておられたが、そのくせタバコを吸っていて、タバコの害を減らすために、小瓶からスポイトでプロポリスをタバコにたらして吸うという姑息なところが、ちびまる子ちゃんそのままだった。
 そういう子どものようなところを飾ることなくさらけ出す人だった。その人柄が笑いを作り出すたぐいまれな才能と奇跡的に結びついたのだ。その奇跡が、わたしたちを笑わせ、批判し、元気づけ、いやしてくれる作品を生んだ。これほど貴重なものは滅多にあるものではない。それを遺してくれたさくらさんには感謝しかない。宝物をありがとうございました。

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