■「やりまわし」でだんじりが街灯に衝突、落下し客重傷
(朝日新聞デジタル - 09月15日 23:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5291153
「伝統」「歴史」「文化」とか、言い訳をすることはない。
我々は、様々な習俗を「因習」「陋習」として捨て去ってきたのだから。
身分制度、性差別、服装、髪型、建築様式、食事、言葉、そして、祭りもそうだろう。
「月代を剃り、髷を結い、着物を常用する人だけが伝統を口にする資格アリ」
とまではいわないが、すくなくとも自分は、好きなものを擁護する際に
「伝統」を使おうとは思わないのだ。
「伝統的〜」と使う時は、たんに「かなり以前よりそうである」ということを指示するにすぎず、
「だから墨守せよ」という意図で発することは、まずない。
地元(といってもまだ数年しか住んでいないが)の祭りで、路上喫煙防止地区にもかかわらず、混雑した路上でタバコをふかし、家の前に吸殻を捨てている「担ぎ手」たちを見るにつけ、「彼らの伝統」とは、「騒いで発散」以外ではなく、神様(ここのは大国主命)への崇敬など、塵ほどもないのだと、つくづく感じた。
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