そんなわけでフィリピンへのNGOの海外ボランティアツアーの帰ってきた。
人数が多かった割には、あんましがちゃがちゃしないで、けっこーまとまってる感じで、オレ的にはだいぶ助かった。というか、めっちゃ参加メンバーに助けられた気がする。
まあもちろん大変ではあったけど、いろんな意味で有意義で楽しめた毎日だったよ。
みんな、どうもありがとう。
で、全体的じゃなくて、
ここでは個人的なことを書こーかと。
希望者で行った、山岳スラムの帰り、
旧友(もと同僚)のパパのお葬式(お通夜)に寄った。
つきあわせちゃったみんな、ありがとう。
フィリピンのお通夜は、あんな感じで一週間安置されながら、みんなが故人との別れを惜しみます。
旧友と会うのも、もう数年ぶり。
そして、そのママ(故人の奥さん)と会うのはもう、10年ぶりくらいになる。
ママとも一緒に働いてた。
スラムの貧しい子どもたちに、毎日、給食をする仕事。
一緒に、ひたすらオニオンやガーリックを刻んだり、子どもたちに配膳をしたりした。
あの頃は、自分にとっても、ママのひとりだった。
そして、こないだ、夫を失った彼女に会った。
「大丈夫だよ、、、」って抱きしめた。
いつのまにか、自分も頼りにされてる立場になってた。
この10年、、、
ただその時できるせいいっぱいの支援をしようと、現地のみんなと協力し、関わっていくなかで、
自分的には、初めの頃と同じように、同じ立場で一緒に活動したり、むしろ自分のママやパパって感じでスタッフやスラムの家族と付き合ってるつもりだったけど、
気がついてみたら、みんなを見守ったり、頼られたりする存在になった。
なんかよくわからんけど、施設の子どもたちも、常駐してるスタッフよりも、オレの言うことを聞いたりする、、、
おそらくそれは見た目の問題だと思うけど、、、(;・∀・)
まあ、何はともあれ、
当たり前といえば当たり前だけど、責任はどんどん重くなる。
今でもまだ手探りのことが多すぎて、いつも、どうしたらいいんだろう?って悩んでばかりだけど、
その責任から逃げるわけにはいかない。
ほどよいゆるさは失わずに、もちょっと自分の立場を自覚して、
ていってもべつに威厳なんかはいらんけど、そうゆーキャラじゃないけど、
少しでもみんなが頼ってもたれかかられるような、希望を与えられるような、安心できるような、そんなヤツでいよう。
旧友やママやパパと会って、
10年、いや、もっと前のことを思い出した。
スラムの子どもたちを相手に、ママ達と楽しくご飯を作ってた日々。
笑顔にあふれた毎日だったけど、
何かしたい、何かできるかもしれない、でもどうしたらいい?
ただそんなかんじだった。
でも、
なんか楽しかった。
誰かを仕切ったり、余計な人間関係に悩まされたり、めんどくさいしがらみにうんざりしたり、そんなこともあまり考えずに、
ただ純粋に、誰かのために役立ちたい、困った人たちを救いたい、と、手探りであがいてた。
それが、とても楽しかった。
そんな気がする。
夜、ひとりでそんなこと思い出してたら、なんか涙が出てきた。
あのくったくのない日々たちが、自分の純粋な感覚が、なんだかめっちゃ懐かしかった。
そして、そんな時達と共に過ごした人との別れが、とても寂しかった。
変わったのは、
周りの環境なのかな?
それともオレ自身なのかな?
オレ、今、
楽しんでないのかな?
、、、
ま、いっか。
そういうこと考えるのはもうやめたんだ。
今、自分がやるべきことをやるだけだ。
それでいいんだ。
きっとまだ、
笑顔は擦り切れてない。
まだがんばれる。
世界中のどこかで、
オレの助けを必要としてる人は、きっとたくさんいる。
だから、
それでいい。
納得や肯定や、そうゆんじゃなくて、
ぶっちゃけそんなんはいらなくて、
そんなんよりも、目の前に救いを求めてる人がいて、きっとオレを頼りにしてくれる人がいて、
だから、やっぱ、今できるせいいっぱいを、続けていくだけだ。
うん。
うん。
まだ、
がんばるよ、、、
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