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2018年09月13日14:28

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六代目松鶴生誕百年祭千秋楽 4

マクラで語られたのか中入り後の「思い出話」のコーナーで出た話なのか
怒られた話がたくさん出ました
強調されていたのは事実だったと云う事、
決して誇張や虚言ではないと云う事です

思い出話で口火を切ったのは鶴瓶
「何であないにいつも怒ってはったんやろ」
松枝:自分にイラついてはったんやろね。吃音があるところに活舌が悪い
弟子に自分の意志が伝わらないのは自身のせいだと。
かといって左足に障害があり自分で動くのも不自由。
ある時水屋を指差しながら「いいんひょう〜ヴぁい取ってんか」
と言われた。何のことかさっぱり判らない。茶碗や鉢を手に取り順にこれですか?その度に違うと言われ最後は
アホ、ボケ,カス、居ね、死ね。
こんな弟子採らなんだら良かった。

瓶:俺もそれで怒られました。何で教えてくれませんでしたん?
枝:お前らも同じように怒られたらええのや
瓶:錦松梅いう佃煮でした。
枝:言うたらあかんやん。何か知りたかったら私の本を買ってください
  そう言う段取りやったのに
瓶;まだ売ってますの。廃版でっせ
  松喬さんは孫弟子やけど
喬:先代松喬はやさしかったです。六代目が反面教師という事ではないので
  すが
  一門会で寄せていただくと直系でなくてよかった、とつくづく思てま
  した
  ある時稽古に来い、と言われましてそれなりの格好で伺いました
  すると直径の兄弟子達は汚い変な格好してるんです
  そして始まったのがプロレスの練習
  変な一門やと思いましたね
枝:伯鶴はどないやね
瓶:こいつはね。嘘つくんですよ。お解かりのように目が不自由です
  そやのに「辞めはった○○兄さんをお見かけしました。お急ぎのご様子
  やったんで声をようお掛け出来ませんでしたが」なんて。
  まるで見えてるようでしょう
枝:鶴松もよう怒られてたな
鶴:私は最初がアカンかったんですよ。高校生で入門のお願いに行った時
  アロハシャツだったんですよ。
  得意は何や?て聞かれてもネタの事やったんですけど、
  私の答えはテニス。すると師匠がテニスか、教えたろ、
  そう言うていきなり立ち上がってサーブやスマッシュの真似。
  夜中の2時ですよ。
  年季明けの挨拶に豆腐20丁持っていきました。実家が豆腐屋なんで。
  そうしたら3年間の恩をこれでチャラにする気か?
  コンニャクや揚げも付け、そう怒られました。
枝:物を持って行かないと機嫌が悪い、そう所あったな
二:私の実家は寿司屋だったんですが、父が亡くなりました
  それでも持って行きましたね
瓶:あと家賃が6,7千円やのに数万円の罰金払う羽目になった奴とか
  そう言うたら師匠にトドメ刺したん鶴二やな
二:あれは
瓶:亡くなる数日前にてウドンを食べに行ったんです
  食べても消化できず直ぐ下から出る状態でした
  体調は良くないんです
  黄疸を凄く気にしてましたが周りは誤魔化してたんです
  それでもしつこく鶴二にどや?と尋ねたら
  鶴二がハッキリ出てます
枝:それで亡くなる前の最後の言葉が「ババしたい」

例えば歌舞伎役者ならその人に相応しい作家が
話を書き、見事な辞世の句で締めてくれたりするのでしょうが
噺家の最後はかくも露に晒されるんですね

会場には愛用の手拭と扇子、紫綬褒章や成瀬さんの描いた四天王
それに恩田支配人所蔵の松鶴直筆の手紙が展示されていました
越智治雄東大教授宛
近代文学研究者で師匠が始めて東京の寄席に上がる時世話になっている
「今度は叱られないようにヒロポン注射をして腕によりをかけ一筆まいらせ候」と書き始められている
発足したばかりの「さえずり倶楽部」に反対する興業主らへ立ち向かう気概等落語への情熱が窺い知れる貴重な資料






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