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2018年09月06日11:49

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18960530 NO2527 (1896年朝鮮各地暴徒蜂起) 電線処弁条款ほか三件の談判または措置の方針に関し請訓の件

18960530 NO2527 (1896年朝鮮各地暴徒蜂起) 電線処弁条款ほか三件の談判または措置の方針に関し請訓の件
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駐韓日本公使館記録 5巻 九. 鉄道•電線•開港 貸金公債 下 (14) 電線処弁条款ほか三件の談判または措置の方針に関し請訓の件
文書題目 (14) 電線処弁条款ほか三件の談判または措置の方針に関し請訓の件
文書番号 機密第四十号
発信日 明治二十九年五月三十日 ( 1896年 05月 30日 )
発信者 全権公使 小村 (小村寿太郎・在北京臨時代理公使)
受信者 外務大臣 陸奧

(14) 電線処弁条款ほか三件の談判または措置の方針に関し請訓の件
機密第四十号
朝鮮政府に対し久しく懸案であった、又は新たに提供及び措置を要する次の四案件に関し、予め今後の方針を伺って置きたいと存じ、次に件目を分かち卑見を開陳します。至急何分の御指示を頂きたく存じます。

第一 電線処弁条款の件
本件は従来御訓示の方針に従い、前内閣の時既に数回の交渉を進め、ほぼその結論に達しようとしていた時、不幸にして二月十一日の事変(*1896年 朝鮮国国王の高宗がロシア公使館に逃げ込み、朝鮮に親露政権成立)に遭遇し、やむを得ず一時この交渉を中止する事となった。
しかしながら速やかにこの処理を終え将来に向かって紛議の原因となることを除いておくことが得策であることはもとより論を待たないことと確信いたしておりますので、その交渉は前内閣の時に比べ、あるいは一層困難となるだろうとは言え、既に京城・元山及び京城・義州間の電線還付を進めてきた行き掛かりもあり、またこの程ロシア公使との協議中、電線の事は特に朝鮮政府と協定すべきとの趣旨でこれを省いて置いたわけで、そのうち時機を見計らい更にこの交渉を開始致したいと存じます。
ただ速やかにその結論を得ようとするには、我が政府においても充分譲步の決心がある事が必要であるわけで、じっくりと従来の関係を抑えここに今後の方針を立てると、先ず、

第一. 京城・釜山及び京城・仁川間電線譲渡代価二十万円は、前内閣の時十万円に減却の事にほぼ内定いたしておりますので、今回はこの十万円を交渉の基礎と致すべきではありますが、実際朝鮮の旧線は五万円内外で修理できるとのことですので、事情によってはむしろ無代価で譲渡する方が穏当であろう。
第二. 電線引き渡し後、我が技術員傭用の年期を八カ年とするのは実際長すぎ、前内閣も容易に同意の色を表さなかったのであるから、今回は五ヶ年としてこれを提出し譲与の最低限を三年と短縮致してはいかがでしょうか。
第三. 京城・元山間及び京城・義州間電線を無条件で朝鮮政府へ還付すること、則ちこの線はもともと朝鮮政府より借用管理していたものであるので、これを所有主に還付するのは当然の事であり、その上この線は実際は非常に破壞されていますので、何らの条件を付けずこれを御決定の上は、京城・仁川及び京城・義州間の電線処弁条款として朝鮮政府に還付致したい。

これは要するに、このようにする時は、一方においては過分の譲与を為すように見えますが、また他の一方においてこの条款により朝鮮政府に釜山港において日本電信局と朝鮮電信局との間に電線を接続し、かつ日本政府又は日本政府の指定する会社で日本領土より朝鮮仁川及びその他必要と認めた開港場の海岸に到るまで、海底線一条あるいは数条を布設し、さらにその他の地に電信局を設け通信の事を取り扱うことを承諾させる場合は、この代償物は遙かにこの譲与に勝る価値があると信ずるのである。

第二 木浦・鎮南浦開港の件
木浦(モッポ)鎮南浦(チンナムポ)開港の事については、前内閣時に既に異議がなかったので、現内閣も多分同様であろう。
また日本だけが「特別居留地」を得ようとすることに対しては、各国使臣が皆等しく異議を唱えたので、今日でも日本として固く前の主張を続けるならば彼等においてもまた固くこれを拒むだろう。
「特別居留地」を設ける必要に関しては、以前から数回御訓示があったのですが、種々の事情があって容易に妥協の見込みがない場合は、むしろ条約を締結し「特別居留地」設立に関する我が希望を放棄したとしても速やかに開港させる方が得策だろうと考える。なぜならば今日の状態では内地行商も当分すこぶる困難であるだろうから、なるべく海岸で貿易を行うことのできる場所を増加させることが大いに必要であると思うからである。そこでこの件は「特別居留地」の希望が通るかどうかに関わらず開港させることに致したいと考えます。

第三 暴徒のため蒙った損害要償(*賠償を求める)の件
本年(*1896年)一月以降朝鮮各地に暴徒が蜂起したため、帝国臣民か蒙っている損害が少なくないのであるが、その生命・身体に蒙った損害については自ら対象も明確にできますが、財産上の損害についてはその対象が極めて漠然としており、朝鮮政府に対し賠償を要求するに当ってすこぶる困難があり、いったん調査の方針を誤った場合はその紛雜は恐らくは前年の防穀事件の比ではないであろう。
したがって今回はなるべくその対象を厳格にし、当然損害と認めるべきものは、全く暴徒のため直接に掠奪破壊され、または遭難の場所に遺棄した貨物の損害に止め、彼の貸金、預金または捨売(*=投げ売り 小売店が不良在庫を償却する目的で赤字覚悟で商品を売り出すこと)、貨物代価の差金(サキン *売りと買いの差し引きをした余りの金)、および所在地引揚げに要した費用、即ち開城(ケソン)、平壤(ピョンヤン)等からの引揚げのように、直接暴徒の損害を蒙らないで唯単に引揚げに対する損失等の類は一切採用しない事に御決定になり、またもっとも正確な調査を得るためには、特に本省より調査員を御派遣いただくか、または一定の標準を示し各領事に厳重に調査をさせられますよう致したい。
そして目下要求中の損害賠償の件は、これを朝鮮政府に厳しく申し入れても、同政府は現在は全くロシア公使の左右する所なので、勢い第三者であるロシア公使に頼ってその結論をえなければならないことは、ちょうど防穀事件(*「1889年(明治22)、朝鮮咸鏡道で凶作を理由に出された穀類輸出禁止令に対し、日本の貿易商が大打撃を受けたとして、日本政府が賠償などを朝鮮に要求した事件。93年に朝鮮政府は賠償金を支払った。」(デジタル大辞泉))の結末と同じ事情に置かれているので、今日はなるべくこれを避け、また適当な時機に乗じてとっさの間にこれを処理する余地を残し置きたく存じます。

第四 内地行商者及び漁民保護の件
朝鮮各地暴徒蜂起以来、帝国臣民の生命財産に危害を加えることが少なくないので、それ以来内地行商を差し止めていたのですが、目下賊勢が次第に衰退に赴く兆しがあるので、各領事でよくその状況を取り調べ、全く静穏を取り戻したと認める地方へは再び行商を許可してよいと存じますが、これに対し朝鮮地方官に我が国の行商に対する十分な保護を与得させること事は到底期待できないので、差し向き当分の間は便宜上各領事館より時々二、三名の巡査をこれらの地方に派遣し、また海岸にあっては時々軍艦に巡査を乗せ必要な港湾に廻航させ、保護及び取り締まりに従事させたいと存じます。
ただし将来の完全な保護及び取り締まり法に関しては、追って各領事の意見をも参考にしつつ更に案を準備して閣下の御高裁を仰ぐつもりでございます。
以上請訓に及びます。
明治二十九年五月三十日

小村 全権公使

陸奧 外務大臣 宛


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