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2018年09月01日20:55

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女子高生コンクリート詰め殺人事件

こんな「ストレート過ぎるタイトル」はつけたくなかったけど、一人でも多くの方々に「少年法の定義」と「更生」について考えていただきたくてあえて、このタイトルにしたことをお許しを・・・

この事件が起きた当初、私は義務教育期間で当時の記憶としておぼえていることはワイドショーで被害者の遺体を見た同級生の友人達が大号泣し「あんなの、A子ちゃん(被害者)じゃない!!」という姿と、事件を知った祖母がため息をつきながら「人をコンクリートで詰めるなんて、人のやることじゃないよ・・・」と言った時の表情しか思い出せない。

その後、法学部に進んだ私は様々な文献やネットを通じてこの事件の「詳しい概要」を知りゾッとする「恐怖感」と「加害者へのつよい憤り」を感じた。

今、一部のネット上ではこの「加害者の元・主犯格少年の一人が再逮捕」となったことで話題となっている。そして、この「事実」をなぜ、テレビでは取り上げないのか、と言う声があがっている。テレビが報じない「理由の答え」としてはここでは「確信たる事実」がない今は、ここでは述べません。

私が「主張したいこと」は前途したように「少年法の定義とその更生」についてです。少年法の定義において「少年の未来と更生のため」としながら「極刑は科さない、メディアに対しての規制」が記されています。「犯罪を犯した少年の未来」とはどのような「未来」でしょうか?それは「自身の犯した罪の十字架を背負い生きていく未来」に他なりません。

彼らは本当に「更生」し「自身の背負う十字架」と向き合ってきたのでしょうか?この事件で大々的に報じられてきた「主犯格の4人」のうち3人もが成人してから再逮捕されています。

とても「更生」からはほど遠いものではないのでしょうか?

私はこれまで日記において度々「法学部出身者として・・・」というタイトルで「年齢や障害などにおいて減刑されるのではなく、犯した罪の重さに応じて断罪されるのが妥当」という趣旨の「主張」をしてきました。当時、主犯格が成人であれば確実に極刑になっていたことが考えられます。「少年の未来と更生」の名のもとに「悲劇」が繰り返される、被害者は「泣き寝入り」そんなことがあってはならない、と感じます。

「法律の役割」は「人々を守るもの」であります。現行の「少年法」では逆に「人に害を与えている」方が多いようにも思えるのです。

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