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2018年08月30日21:39

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「2001年宇宙の旅」公開から半世紀

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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/9219838.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968129351&owner_id=6445842
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/859.html


https://www.youtube.com/watch?v=e-QFj59PON4




1. 1968年夏の出来事



 皆さんは、「2001年宇宙の旅」(1968年・アメリカ)を御覧になっただろうか?今年(2018年)は、この映画の公開から50年(半世紀)に当たる年である。


https://www.youtube.com/watch?v=e-QFj59PON4
(「2001年宇宙の旅」冒頭)



 1968年(昭和43年)と言えば、日本は、高度経済成長の只中にあり、そして、学園紛争とそれに連動した学生運動が、頂点に達した年である。世界を見れば、ベトナム戦争が続き、中国は文化大革命の只中にあり、フランスでは「5月革命」が起こった。そして、8月には、ソ連軍のチェコスロヴァキア(当時)侵入があった年である。

 その1968年、私は、小学校6年生の子供だった。その50年前の1968年夏、東京のテアトル東京で見た「2001年宇宙の旅」は、私にとって、単なる映画ではなく、人生におけるひとつの出来事であった。


2.「この映画を一度で理解されたら、我々の失敗だ。」



 「2001年宇宙の旅」は、アーサー・クラークの小説を原作とするSFである。英語の現代は、「2001:A SPACE ODYSSEY」と言う物で、直訳すれば、「2001:宇宙のオデュッセイ」である。1968当時は、アポロ計画が進行中で、日本でも欧米でも、SFが人々の関心を集める時代だったが、この作品は、それまでの「SF]とは非常に異なる性格の「SF」であった。


https://www.youtube.com/watch?v=QSxI0OOjR0Y



 映画は、人類が、まだ、道具を使用して居なかった太古の地球で、人類の祖先である類人猿が、謎の黒い石板の様な物体(モノリス)に触れ、道具を使い始める逸話から始まり、一気に、宇宙時代に話は飛ぶ。そして、そこでも、その謎の黒い石板の様な物体(モノリス)が、月面上や木星に近い宇宙空間で、人間の前に現われるのだが、その過程で、人工知能が人間に反乱を起こす場面も有る。まだ、見て居ない人も居ると思ふので、映画の内容は、これ以上は書かないが、この映画は、極めて「難解」である。


https://www.youtube.com/watch?v=AXS8P0HksQo



 監督のスタンリー・キューブリック自身であったか、或いは、他の関係者が、公開当時、「この映画を一度で理解されたら、我々の失敗だ。」と言ったと言う真(まこと)しやかな逸話が有る。冗談だったのかも知れないが、それほど、この映画は難解である。

 映像の素晴らしさは、半世紀後の今日、見直しても、全く遜色が無いし、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストゥラはこう語った」やヨハン・シュトラウスの「青き美しきドナウ」の映像との調和は、本当に素晴らしい。


https://www.youtube.com/watch?v=xyjOjT8d8RI


 しかし、とにかく、内容は難解で、まるで、映像と音楽によるひとつの禅問答の様ですらある。哲学的と言うより、宗教的と言った方が正しい様な、高度に知的な作品である。(見て居ない人は、この記事を読んだ事を切っ掛けに、是非、見て欲しい。)

 この映画は、その後の日本の文化に大きな影響を与えた。手塚治虫氏や石ノ森章太郎氏、桑田次郎氏などの劇画は、明らかに、この映画から大きな影響を受けて居る。又、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストゥラはこう語った」が、今日、これほど有名になったのも、明らかに、この映画が切っ掛けである。実に、日本の戦後文化史に深い影響を与えた映画である。




3.この半世紀間の日本社会の変化



 その「2001年宇宙の旅」を、私が、今、ここで取り上げるのには、理由が有る。それは、この難解で哲学的、宗教的なこの映画を、当時、実の多くの日本の子供が見た事の意味が、2018年の日本にとって、顧(かえり)みるに値する事だと思うからである。

 「2001年宇宙の旅」は、10年後にリバイバル上映された。それから、VHSやDVDで繰り返し、多くの日本人がこれを見て居るが、この映画が「難解」と受け止められて居る事は、当時も今も同じである。

 しかし、半世紀前の1968年と現在の2018年を比較した時、当時小学生だった私が「変わった」と思う事は、あの時代は、子供が、この様な難解な映画をこぞって見たと言う事である。そして、この「何が何だか分からない映画」について、子供達が、夢中で議論し合ったという事なのである。それに対して、今の子供達は、この様な精神的体験をする事が稀に成って居るのではないか?と、私は、思うのである。それは、何故なのだろうか?




4.「子供達は素晴らしい」



 もう20年くらい前の事である。何気無く見て居たNHKの番組で、或る箏(こと)奏者の女性の話を耳にした事がある。

 どの地域の方かは記憶して居ないが、或る若い女性の箏奏者の女性が、あちこちの小学校を訪れて、子供達の前で、箏を演奏して居ると言う話であった。その女性が、インタビューニ答えて、多くの小学校で箏を演奏し、子供達に箏を聴かせてきた経験を回想する中で言った言葉は、こう言う言葉だったのである。



「子供達は、素晴らしい。」



 その箏奏者は、こう言う。「子供達は、本当に素晴らしいです。箏の古典を弾いても、耳を澄ましてじっと聞いてくれます。」ところが、先生たちは、違うのだと言ふ。


「それなのに、大人たちは、『アニメの曲をやって下さい。』とか、『そんな曲は難しいから弾かないで下さい。』とか、そんな事ばかり言うんですね。子供達は、大人が思っているより、ずっと色々な曲がわかるのに。」



 記憶で書いて居るので、正確にこの通りの表現ではなかったと思うが、その女性箏奏者は、大旨この様に語って、子供達が、いかに知的で素晴らしいか、それに対して、先生たち大人は、子供をバカにして居て、すぐ「子供にそんな物はわかりません。」とか「アニメの曲をやって下さい」とか言うと言うのである。子供は、そんなに「馬鹿」なのだろうか?私は、ここに、学校の先生を始めとする日本の「大人」の劣化を見る。



5.「中学生でもわかるニュース」



 思い出すのは、昔、或るテレビ局のジャーナリストがぼやいた言葉である。1990年代であったと記憶するが、そのテレビ・ジャーナリストは、テレビの報道現場で、「中学生でもわかる」と言う言葉が、番組制作のモットーの様に使われている事に言及して、こう言った。



「中学生には、自分がわからないニュースが有る事を教える事が大事なんじゃないだろうか。」



 私は、その通りだと思った。学校もマスコミも、難しい話はせず、子供達にただ、「わかりやすい」話ばかりを聞かせようとして居るのではないだろうか。

 先程挙げた、小学校での箏の演奏の場合でも、先生たち大人が、子供に箏の古典作品などではなく、「アニメの曲」を聞かせようと考えるのは、とにかく、子供に「難しい話」をしても仕方が無いと言う、子供をバカにした考え方が、その土台に在るのではないか?私にはそう思えてならないのである。

 言わゆる「ゆとり教育」が導入された背景に何が有ったのか?は大きなテーマであり、単純ではないが、「ゆとり教育」導入の背景にも、こうした子供をバカにする大人たちの発想が有った様に思えてならないのである。




6.小学生がモノリスを論じた時代



 話を「2001年宇宙の旅」に戻そう。今から50年前、ベトナム戦争が続き、学園紛争が頂点を迎え、「5月革命」とチェコ事件が起きたあの年、私を含めた多くの小学生が、あの(難解な)「2001年宇宙の旅」を見た。そして、私は、今も良く思い出すが、夏休みに「2001年宇宙の旅」を見た私たち1968年の小学生は、「あの黒い板は何なのか?」「あのラスト・シーンの意味は何なのか?」を熱く論じ合ったのである。

 私も、私の友人たちも、何が何だか、さっぱりわからなかった。だが、わからないからこそ、私たち1968年緒小学生は、「2001年宇宙の旅」について、子供なりに熱く語り合い、議論をした。その知的体験は、素晴らしい物であった。

自分にわからない世界が有る事、自分にわからない物語がある事、それを知っただけでも、「2001年宇宙の旅」を見たあの夏休みは、私たちにとって、素晴らしい夏休みだったのである。50年後の今も、私は、小学校のクラス会に行くと、必ず、一度は、この映画の話をして居る。



7.子供には、自分が分からない物が有る事を教えよ。



 私は、身近で、知人の子供が小学校を卒業して中学に入る事が有ると、良く、「2001年宇宙の旅」のDVDをお祝いにプレゼントする。その後、プレゼントした子供に感想を聞くと、多くの場合、50年前の私と同様、この「訳がわからない」映画に強烈な印象を与えられ、刺戟を受けて居る事を知って、嬉しくなる。

 子供は、変わっていないのである。変わったのは、大人である。「子供にはそんな物は難し過ぎる」と言って、子供達を知的に過保護の状態に置き、「難しい物」を子供から遠ざけてしまった大人たちが悪いのである。

 子供達は素晴らしい。子供達には、もっと、もっと、難しい本、難しい話、難しい音楽、そして、「2001年宇宙の旅」の様な難しい映画を与えるべきなのである。



(終)





西岡昌紀(にしおかまさのり)



1956年東京生まれ。内科医(神経内科医)。著書に「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか」(日新報道・1997年)、「ムラヴィンスキー/楽屋の素顔』(リベルタ出版・2003年)、「放射線を医学する」(リベルタ出版・2014年)などが有る。近著は、「短編小説集『桜』2017」(文芸社・2017年)。




「2001年宇宙の旅」冒頭
https://www.youtube.com/watch?v=e-QFj59PON4



「2001年宇宙の旅」人類の夜明け
https://www.youtube.com/watch?v=QSxI0OOjR0Y



「2001年宇宙の旅」青き美しきドナウ
https://www.youtube.com/watch?v=xyjOjT8d8RI



「2001年宇宙の旅」人工知能との対決
https://www.youtube.com/watch?v=UgkyrW2NiwM



「2001年宇宙の旅」終はりの部分
https://www.youtube.com/watch?v=AXS8P0HksQo




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