■報道・裁判に出ない「オウムの悲劇」 元信者は目にした
(朝日新聞デジタル - 08月26日 14:47
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5260730
「悲劇」の根源が「信じる」ことそのものにあることを。
ひとつの信仰は、「その体系以外の体系の排除」でもある、ということを。
だがしかし、「信仰が悪である」という、いわば「不信心の宣言」もまた、
「不信心主義」ともいえる、別種の信仰告白であるともいえよう。
「自信」とは、実のところ、「自己への疑念の継続への疲労」から来るのかも知れない。
そもそも、そうして疑念を差し向ける対象であるところの「自己」が、何に支えられているか。
疑いを放棄して初めて「自己が立ち上がる」のではないか、とも考える。
立ち返り、立ち返り、立ち返り。
安寧のない運動の内にのみ、「批判」は生まれ、また死んでいく。
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