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2018年08月15日03:07

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神戸新聞 連載・特集 シリーズ 戦争と人間 

 神戸新聞 連載・特集 シリーズ 戦争と人間 
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/
太平洋戦争が終結し、今年で68年。日本兵として戦い、厳しい環境を生き抜いた人たちは80代、90代を迎えています。国内でも、空襲によって多くの命が奪われました。戦争の体験と記憶を聞き取り、平和を希求する思いを次の世代に伝えたい。そんな思いで、シリーズ「戦争と人間」を始めました。

第10部 白衣の奉国2018/8/12〜         軍隊に従って戦地に赴いたのは、男性だけではない。兵庫県稲美町の藤田きみゑさん(98)は従軍看護婦(現看護師)として日中戦争さなかの中国大陸に渡り、命を落とす何十人、何百人の兵士と接してきた。「普通の少女」が、なぜ「軍属」として戦争に参加し、何を直視したのか。シリーズ「戦争と人間」第10部では、中国での3年半余りの回想を紹介する。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20180812MS00105.shtml

第9部 極秘裏の掃海隊2016/12/7〜2016/12/23  1950(昭和25)年、占領下にあった日本の機雷掃海隊が朝鮮戦争(50〜53年)に派遣された事実は、あまり知られていない。米軍の要請を受け、平和憲法の下で遂行された「極秘任務」。掃海艇など延べ54隻、元軍人ら延べ約1200人が従事した。掃海中に触雷し、亡くなった乗組員中谷坂太郎さんは、戦後唯一の「戦死者」となった。シリーズ「戦争と人間」第9部は、旧海軍の元軍人で、機雷掃海に出動した嶋田好孝さん(91)=神戸市兵庫区=の語りを届ける。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20161206MS00168.shtml

第8部 終局の秘密戦2016/8/14〜2016/8/27  太平洋戦争末期、各地の戦闘で玉砕や全滅が相次ぐ中、陸軍は、正規軍から独立して個別に動く遊撃(ゲリラ)部隊を編成し、各戦線に投入した。その幹部を養成した秘密機関「陸軍中野学校二俣分校」(現浜松市)は、潔く死ぬことを説いた戦陣訓の心構えを否定し、捕虜になってもなお生き残るよう教育したという。シリーズ「戦争と人間」第8部は、二俣分校の1期生だった明石市の元教員、井登慧(いとさとし)さん(93)の語りを紹介する。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20160814MS00096.shtml

第7部 ビルマ地獄の敗走2015/8/18〜2015/9/4  「ジャワの極楽、ビルマの地獄」。太平洋戦争中、日本兵たちは南方の戦地をそう呼んだ。無謀な作戦の代名詞「インパール作戦」をはじめ、敗走を重ねたビルマ(現ミャンマー)戦線は、それほど過酷だった。シリーズ「戦争と人間」第7部は、地獄を生き抜いた今里淑郎(いまさとしゅくろう)さん(93)=宝塚市=と、細谷寛(ほそたにひろし)さん(96)=神戸市垂水区=の記憶をたどる。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20150818MS00106.shtml

第6部 慟哭のホラン河〜満州開拓団集団自決〜2015/2/15〜2015/3/4  中国東北部の旧満州と内蒙古は戦前、「日本の生命線」と呼ばれた。貧困にあえぐ国内の農村救済と旧ソ連からの防衛などを掲げ、国策として農業移民が進められた結果、全国から約27万人が海を渡った。終戦直前の1945(昭和20)年8月9日、旧ソ連軍が侵攻。過酷な逃避行の中で数々の悲劇が起きる。その一つが、但馬から入植した高橋村(豊岡市但東町)開拓団の集団自決である。大人、子ども合わせて298人が、ホラン河に身を投じて亡くなった。シリーズ「戦争と人間」第6部は、悲劇から生き残った石坪馨(かおる)さん(85)と山下幸雄さん(81)の語りを届ける。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20150215MS00116.shtml

第5部 墓島の将校〜ブーゲンビル島〜2014/8/13〜2014/8/31  パプアニューギニアのブーゲンビル島は、日本から約5千キロ離れた赤道近くに浮かぶ。太平洋戦争の激戦地の一つで、かつてはボーゲンビル島と表記された。戦時中、日本軍の兵士は飢餓の島、ガダルカナル島を「餓島(がとう)」と呼んだように、ボーゲンビル島に「墓島(ぼとう)」の字を当てた。厚生労働省によると、この島で命を落とした日本兵は約3万3600人。文字通りの「墓の島」であった。シリーズ「戦争と人間」第5部は、陸軍少尉として墓島で戦った西宮市の遠藤毅さん(93)の体験を紹介する。(小川 晶)
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20140813MS00145.shtml

第4部 玉砕せよ〜沖縄戦〜2014/4/28〜2014/5/11  4月28日を、沖縄の人は「屈辱の日」と呼ぶ。1952(昭和27)年のこの日、講和条約発効で主権を回復した日本の中で、沖縄は奄美、小笠原とともに米軍の統治下に置かれた。そして差別と屈辱の日々が始まる。沖縄は戦争中、国内最大の地上戦が繰り広げられ、民間人を合わせ20万人を超える命が犠牲となった場所でもある。洲本市の元陸軍兵、片山省(しょう)さん(91)は沖縄戦を戦い、所属部隊が壊滅する中で奇跡的に生還した。シリーズ「戦争と人間」第4部は片山さんの証言を届ける。名護から大里、識名(しきな)から具志頭(ぐしちゃん)へ。戦地を駆け回った片山さんは、69年前の激戦を振り返って言った。「肉弾戦でしたわ」(上田勇紀)
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20140428MS00382.shtml

第3部 囮の艦隊〜レイテ沖海戦〜2013/12/8〜2013/12/24  今年秋、台風30号で甚大な被害が出たフィリピン・レイテ島をめぐって、日米海軍が激しい戦いを繰り広げたのは、1944(昭和19)年10月のことだ。「レイテ沖海戦」と呼ばれ、戦場となった海域の広さ、両軍の軍艦の多さなどから、史上最大規模の海戦とされる。太平洋戦争の開戦から3年、敗色濃厚だった日本海軍の連合艦隊は持てる戦力をすべてつぎ込み、戦いに臨んだ。このとき、米軍の航空機を引きつけるため囮(おとり)となった機動艦隊の中に、航空戦艦「日向(ひゅうが)」の姿があった。シリーズ「戦争と人間」第3部は、日向で機銃の射手を務めた丹波市青垣町遠阪(とおざか)の山中喜平治(きへいじ)さん(91)の記憶をたどる。(森 信弘)
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20131208MS00072.shtml

第2部 白菊の空〜神風特別攻撃隊〜2013/8/13〜2013/8/25  戦争の体験を次の世代へ。シリーズ「戦争と人間」。第2部は「神風特別攻撃隊徳島白菊隊」元隊員の体験を届ける。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20130813MS00125.shtml

第1部 兄弟のダモイ〜シベリア抑留〜2013/5/21〜2013/6/4  戦争の体験を次の世代へ。シリーズ「戦争と人間」。第1部はシベリア抑留の体験を届ける。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/P20130521MS00160.shtml
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