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2018年08月06日08:41

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8月6日(月) #1663 私たちは “HIROSHIMA” と “12.8” を絶対に忘れてはならない

おはようございます。木下藤吉郎です。


今から25年前の1993年(平成5年)の今日、前夜から鹿児島県など九州で降り続いていた雨が豪雨になり、鹿児島市内を流れる3つの河川が溢れ出して土石流も発生し、道路や鉄道の崩落、橋の流失、浸水被害が相次ぎ、一夜で48人が死亡、1人が行方不明になりました。特に鹿児島市竜ヶ水地区は土石流によりJRの駅が完全に孤立し、官民一体での海からの救出活動が行われたもののその間にもそこへ追い撃ちのごとく相次いで土石流が襲った為、壊滅的被害となりました。

■災害対応資料集 : 防災情報のページ - 内閣府
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/houkokusho/hukkousesaku/saigaitaiou/output_html_1/case199302.html

また、今日は広島原爆の日であります。1945年(昭和20年)の今日午前8時15分、広島市に原子爆弾『リトル・ボーイ』がB29戦闘機『エノラ・ゲイ』から投下され、少なくとも9万人以上が2ヶ月〜4ヶ月以内に死亡したとされています(※一説では16万6千人以上が死亡したとも)。


また、今から60年前の1958年(昭和33年)の今日は、俳優、タレントの辰巳琢郎(たつみ たくろう)さんの生まれた日です。

■プロフィール | 辰巳琢郎公式ホームページ
http://www.takusoffice.jp/profile_ja.php























8月6日 月曜日

たった今、一瞬の時が流れました。

いつもならば、午前8時14分59秒から、午前8時15分00秒になるありふれた一瞬の時であります。

しかし今日、この時は、決して忘れてはならない出来事を振り返り、無残に亡くなっていかれた方々に想いを馳せ、戦争の惨禍を再び起こさせまいと決意を固める時でもあります。

1945年(昭和20年)8月6日、台風一過の快晴の朝を迎えた広島市は、いつものように活動を始めようとしていました。

午前8時15分、B29戦闘機『エノラ・ゲイ』から投下された原子爆弾『リトル・ボーイ』は、一瞬で広島の街を焼け野原と化し、多くの人々は水を求めて呻きながら命を落としていきました。原爆の炸裂によって発生した巨大な煙の塊「キノコ雲」は、上空で雨雲となり、黒い雨を降らせました。この雨を浴びた人々は体内から放射能汚染を受け、白血病などの原爆症にかかり、何年と経たないうちに亡くなっていきました。

しかしながら、こうした広島の惨劇を知らない人々が増えつつあり、また一方で広島原爆自体はご存じであっても、その遠い発端となります1941年12月8日の真珠湾攻撃を知らない方は大多数にのぼると言われています。

世界初の核兵器使用、一瞬で何万人もの一般庶民を大量に死なせたという大きな汚点を残した米軍の罪は思いと言えます。

しかしそれとともに、当時の日本軍がそれより先に、真珠湾攻撃という多くの米兵の命を奪った行動をやっていたという事実も忘れてはなりません。

何人であろうとも、命を奪ったという罪に、重いも軽いもないと私は思います。なぜならば、その人と関わりのない人には「誰かが死んだ」でも、関係している人にはそれが人生を狂わせかねない重大な事件なのですから。

今一度、なぜ戦争が始まってしまったのか、あの戦争を二度と繰り返さない為に私たちはどうしていけばよいのか、なぜ戦争を賛美する人々がいるのか、ひとつ時間を設けて、みんなでじっくり考えてみてはいかがでしょうか。

■広島の悲劇:1945年8月6日原子爆弾投下
https://youtu.be/DV8qXv5xo2A

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